昔男と聞く時は、今も床しき道中姿。その物語に題は通えど、これは東の銭なしが、一年思いたつよしして、参宮を志し、霞とともに立出でて、いそじあまりを三河国、そのから衣、ささおりの、安弁当の鰯の名に、紫はありながら、杜若には似も・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ ――金石の湊、宮の腰の浜へ上って、北海の鮹と烏賊と蛤が、開帳まいりに、ここへ出て来たという、滑稽な昔話がある―― 人待石に憩んだ時、道中の慰みに、おのおの一芸を仕ろうと申合す。と、鮹が真前にちょろちょろと松の木の天辺へ這って、脚を・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・「ヒ、ヒ、ヒ、空ざまに、波の上の女郎花、桔梗の帯を見ますと、や、背負守の扉を透いて、道中、道すがら参詣した、中山の法華経寺か、かねて御守護の雑司ヶ谷か、真紅な柘榴が輝いて燃えて、鬼子母神の御影が見えたでしゅで、蛸遁げで、岩を吸い、吸い、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・私は何かの道中記の挿絵に、土手の薄に野茨の実がこぼれた中に、折敷に栗を塩尻に積んで三つばかり。細竹に筒をさして、四もんと、四つ、銭の形を描き入れて、傍に草鞋まで並べた、山路の景色を思出した。 二「この蕈は何と言い・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ これで、勘定が――道中記には肝心な処だ――二円八十銭……二人分です。「帳場の、おかみさんに礼を言って下さい。」 やがて停車場へ出ながら視ると、旅店の裏がすぐ水田で、隣との地境、行抜けの処に、花壇があって、牡丹が咲いた。竹の垣も・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・――近頃は、東京でも地方でも、まだ時季が早いのに、慌てもののせいか、それとも値段が安いためか、道中の晴の麦稈帽。これが真新しいので、ざっと、年よりは少く見える、そのかわりどことなく人体に貫目のないのが、吃驚した息もつかず、声を継いで、「・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 神楽坂辺をのすのには、なるほどで以て事は済むのだけれども、この道中には困却した。あまつさえ……その年は何処も陽気が悪かったので、私は腹を痛めていた。祝儀らしい真似もしない悲しさには、柔い粥とも誂えかねて、朝立った福井の旅籠で、むれ際の・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・ようやく埒外に出れば、それからは流れに従って行くのであるが、先の日に石や土俵を積んで防禦した、その石や土俵が道中に散乱してあるから、水中に牛も躓く人も躓く。 わが財産が牛であっても、この困難は容易なものでないにと思うと、臨時に頼まれてし・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・この道をまっすぐにおいでなさると町に出ます。道中お気をつけておゆきなさいまし。」といって、二人は見送ってくれました。 宝石商は、それから幾日も旅をしました。山を越え、河を渡り、あるときは船に乗り、そして、南の国を指して、旅をつづけました・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・とか「長どす道中」とか「どすんと尻餅ついた」とか、どぎつくて物騒で殺風景な聯想を伴うけれども、しかし、耳に聴けば、「だす」よりも「どす」の方が優美であることは、京都へ行った人なら、誰でも気づくに違いない。いや、京都の言葉が大阪の言葉より柔か・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
出典:青空文庫