・・・桃内を過ぐる頃、馬上にて、 きていたるものまで脱いで売りはてぬ いで試みむはだか道中 小樽に名高きキトに宿りて、夜涼に乗じ市街を散歩するに、七夕祭とやらにて人々おのおの自己が故郷の風に従い、さまざまの形なし・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ 次に舜典に徴するに、舜は下流社會の人、孝によりて遂に帝位を讓られしが、その事蹟たるや、制度、政治、巡狩、祭祀等、苟も人君が治民に關して成すべき一切の事業は殆どすべて舜の事蹟に附加せられ、且人道中最大なる孝道は、舜の特性として傳へらるゝ・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・長い道中のために両脚が萎えてかたわになっていたのである。歩卒ふたり左右からさしはさみ助けて、榻につかせた。 シロオテのさかやきは伸びていた。薩州の国守からもらった茶色の綿入れ着物を着ていたけれど、寒そうであった。座につくと、静かに右手で・・・ 太宰治 「地球図」
・・・ 早打ちの使者の道中を見せる一連の編集でも連句的手法を借りて来ればどんなにでも暗示的なおもしろみを出すことができたであろうと想像される。そういうことにかけてはおそらく日本人がいちばん長じているはずだと思われるのに、その長所を利用しないの・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・そうしてその後二、三回の電車の道中に知らず知らず全巻を卒業してしまったのである。 不思議なことには、このドイツ語で紹介された老子はもはや薄汚い唐人服を着たにがにがとこわい顔をした貧血老人ではなくて、さっぱりとした明るい色の背広に暖かそう・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・「密謀の集会」「大広間の評定」「道中の行列」これには大抵同じ土手や昭和国道がつかわれる。「花柳街のセット」「宿屋の帳場」「河原の剣劇」「御寺の前の追駆け」「茶屋の二階の障子の影法師」それから……。それからまたどの映画にも必ず根気よく実に根気・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・欄下の溜池に海蟹の鋏動かす様がおかしくて見ておれば人を呼ぶ汽笛の声に何となく心急き立ちて端艇出させ、道中はことさら気を付けてと父上一句、さらば御無事でと子供等の声々、後に聞いて梯子駆け上れば艫に水白く泡立ってあたりの景色廻り舞台のようにくる・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・そのせいではっきりそれを覚えているのかもしれない。道中の昼食は一人前五、六銭であったらしい。どこかの昼食で甥が一、二杯自分より多く飯をくったら、その分だけ一銭多く取られた。会計は父の命令で自分の方でもつことになっていたので、甥がひどく悄気て・・・ 寺田寅彦 「初旅」
・・・茶代の奮発だけで済む事なら大した苦痛ではないが、一度び奮発すると、そのお礼としてはいざ汽車へ乗って帰ろうという間際なぞに極って要りもせぬ見掛ばかり大きな土産物をば、まさか見る前で捨てられもせず、帰りの道中の荷厄介にと背負い込せられる。日本の・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・御道中をお気をおつけなさいよ。貴郷にお着きなすッたら、ちょいと知らせて下さいよ。ね、よござんすか。こんなことになろうとはね」「何だ。何を言ッてるんだ。一言言やア済むじゃアないか」 西宮に叱られて、小万は顔を背向けながら口をつぐんだ。・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫