・・・この人の句がうまく適度に混入しているために一巻に特殊な色彩の律動を示していることは疑いもないことであるが、ただもし凡兆型の人物ばかりが四人集まって連句を作ったとしたらその成績はどんなものであるかと想像してみれば、おのずから前述の所論を支持す・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・飯を食う処は、その辺から見える山の裾にあったが、ぶらぶら歩くには適度の距離であった。道太はいたるところで少年時代の自分の惨めくさい姿に打つかるような気がしたが、どこも昔ながらの静かさで、近代的産業がないだけに、発展しつつある都会のような混乱・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・いずれも三尺あるかなしかの開戸の傍に、一尺四方位の窓が適度の高さにあけてある。適度の高さというのは、路地を歩く男の目と、窓の中の燈火に照らされている女の顔との距離をいうのである。窓際に立寄ると、少し腰を屈めなければ、女の顔は見られないが、歩・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
書物に於ける装幀の趣味は、絵画に於ける額縁や表装と同じく、一つの明白な芸術の「続き」ではないか。彼の画面に対して、あんなにも透視的の奥行きをあたへたり、適度の明暗を反映させたり、よつて以てそれを空間から切りぬき、一つの落付・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・もしまた、適度の砂糖は人間の健康に必要なものであるから、というのならば、つい先頃まで砂糖の害だけを云いたてて、科学的に国民保健上最低の糖分の必要さえ示そうとしなかった政府と栄養専門家、医者たちの軍事的御用根性について、この際正直に反省してほ・・・ 宮本百合子 「砂糖・健忘症」
・・・一度男の荒い掌がそこにさわってなでると、彼女は丁度荒い男の掌という適度な紙やすりでこすられた象牙細工のように、濃やかに、滑らかに、デリカになる。野生であった女は、もっと野生な、力ある男の傍で、始めて自分の軟らかさ、軽さ、愛すべきものであるこ・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ どんなに陰気になっていても、彼女の年の持つ単純さが、新らしく彼女を取り繞った周囲に対して、驚くべき好奇心、探究心を誘い出し、ことごとに満たされ、ことごとに適度な緊張となる新規な習慣や規則が、実に無量の鼓舞と慰安とを与えたのである。・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・健康で余り安逸を貪ったことの無い花子の、いささかの脂肪をも貯えていない、薄い皮膚の底に、適度の労働によって好く発育した、緊張力のある筋肉が、額と腮の詰まった、短い顔、あらわに見えている頸、手袋をしない手と腕に躍動しているのが、ロダンには気に・・・ 森鴎外 「花子」
・・・それは紅色としては感じられないが、しかし白色に適度の柔らかみ、暖かみを加えているのであろう。われわれが白い蓮の花を思い浮かべるとき、そこに出てくるのはこういう白色の花弁であって、真に純白の花弁なのではあるまい。そう私は感ぜざるを得なかった。・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・ 我々の祖先は今、適度の暗さを持った荘厳な殿堂の前に、神聖な偶像の美に打たれて頭を垂れている。やがて数十人の老若の僧侶が夢の中に歩く人のごとく静かに現われて、偶像の前に合掌礼拝しあるいはひざまずきあるいは佇立する。柔らかな衣の線の動き。・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫