・・・ 四季折々の年中行事は、自然に接し、又その中へはいりこみ、そしてそれをたのしむ方法として、祖先が長い間かかってつくりあげたもので春夏秋冬を通じてそれは如何にもたくみに配置されているように思われる。 茶色の枯れたような冬の芽の中に既に・・・ 黒島伝治 「四季とその折々」
・・・ 黒白の切片の配置、線の並列交錯に現われる節奏や諧調にどれだけの美的要素を含んでいるかという事になると、問題がよほど抽象的なものになり、むしろ帰納的な色彩を帯びては来るが、しかしそれだけにいくらか問題の根本へ近づいて行きそうに思われる。・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・おおぜいの登場者の配置に遠近のパースペクチーヴがなく、粗密のリズムがないから画面が単調で空疎である。たとえば大評定の場でもただくわいを並べた八百屋の店先のような印象しかない。この点は舶来のものには大概ちゃんと考慮してあるようである。第三には・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・するに日本の沿岸ではいかなる季節でも、風の日々変化するのを分析すると、海陸風に相当する風の弛張がかなり著しく認められるが、実際にいわゆる海陸風として現われるのは、季節風の弱い時季か、あるいは特別な気圧配置のために季節風が阻止された場合である・・・ 寺田寅彦 「海陸風と夕なぎ」
・・・それでいて山水遠近の配置が決して単調でなく、大様で少しもせせこましくない変化を豊富に示している。 岩手山は予期以上に立派な愉快な火山である。四辺の温和な山川の中に神代の巨人のごとく伝説の英雄のごとく立ちはだかっている。富士が女性ならばこ・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・またある時花壇の金蓮花の葉を見ているうちに、曇った空が破れて急に強い日光がさすと、たくさんな丸い葉は見るまにすくすくと向きを変え、間隔と配置を変えて、我れ勝ちに少しでも多く日光をむさぼろうとするように見えた。一つ一つの葉がそれぞれ意志のある・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・この偏光の度や配置を種々の天候の時に観測して見ると、それが空気の溷濁を起すようないわゆる塵埃の多少によって系統的に変化する事が分る。 この偏光の研究を更につきつめて行って、この頃では塵のない純粋なガスによって散らされる光を精細に検査し、・・・ 寺田寅彦 「塵埃と光」
・・・しかし、もしも丸の内全部が地下百尺の七層街になっていたとしたら、また敵にねらわれそうなあらゆる公共設備や工場地帯が全部地下に安置されており、その上に各区の諸所に適当な広さの地下街が配置されていたとしたら、敵の空軍はさぞや張り合いのないことで・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
電車の中で試みに同乗の人々の顔を注意して見渡してみると、あまり感じの好い愉快な顔はめったに見当らない。顔色の悪い事や、眼鼻の形状配置といったようなものは別としても、顔全体としての表情が十中八、九までともかくも不愉快なもので・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・たとえば狩野派・土佐派・四条派をそれぞれこの三角の三つの頂点に近い所に配置して見ることもできはしないか。 それはいずれにしてもこれらの諸派の絵を通じて言われることは、日本人が輸入しまた創造しつつ発達させた絵画は、その対象が人間であっても・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
出典:青空文庫