・・・この日から酸素吸入をさせました。そして、彼が度々「何か利尿剤を呑む必要がありましょう、民間薬でもよろしいから調べて下さい」と言いますので、医師に相談しますと、医師はこの病気は心臓と腎臓の間、即ち循環故障であって、いくら呑んでも尿には成らず浮・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・「ええ、虫は鳥などのように酸素を欲しがりませんからナ」 問を掛けた生徒は、つと教室を離れて、窓の外の桃の樹の側に姿を顕した。「ア、虫を取りに行った」 と窓の方を見る生徒もある。庭に出た青年は桜の枝の蔭を尋ね廻っていたが、間も・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 埋火 炭火を灰で埋めれば酸素の供給が乏しくなるから燃えにくくなって永く保っている。しかし終には燃えてしまうのは空気が少しずつ中を流通している証拠である。 寺田寅彦 「歳時記新註」
・・・だから人間でも脇腹か臍のへんに特別な発声器があってもいけない理由はないのであるが、実際はそんなむだをしないで酸素の取り入れ口、炭酸の吐き出し口としての気管の戸口へ簧を取り付け、それを食道と並べて口腔に導き、そうして舌や歯に二役掛け持ちをさせ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
長い管の中へ、水素と酸素とを適当な割合に混合したものを入れておく、そうしてその管の一端に近いところで、小さな電気の火花を瓦斯の中で飛ばせる、するとその火花のところで始まった燃焼が、次へ次へと伝播して行く、伝播の速度が急激に・・・ 寺田寅彦 「流言蜚語」
・・・鉄工場に働いたり、あるいは酸素打鋲器をあつかっている労働者、製菓会社のチョコレート乾燥場などの絶え間ない鼓膜が痛むような騒音と闘って働いている男女、独特な聴神経疲労を感じている電話交換手などにとって、ある音楽音はどういう反応をひき起すか、ど・・・ 宮本百合子 「芸術が必要とする科学」
・・・の小さい白い寝台の上で静かに眠り、かれらの酸素を吸っているのである。〔一九三一年一月〕 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
・・・ ライオン喫茶部では大理石切嵌模様の壁がやけにぶつかる大太鼓やヴァイオリンの金切声をゆがめ皺くちゃにして酸素欠乏の大群集の頭上へばらまきつつあった。昨夜ここでマカロニを食べた二人連の春婦が同じ赤い着物と同じ連れで今夜はじゃがいもの揚げた・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・化学なんという奴は丁度己の性分に合っているよ。酸素や水素は液体にはならねえという。ならねえという間はその積りで遣っている。液体になっても別に驚きゃあしねえ。なるならなるで遣っている。元子は切ったり毀したりは出来ねえ。Atom は atemn・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・ただ最後に酸素吸入器だけが、彼女の枕元で、ぶくぶく泡を立てながら必死の活動をし始めた。 彼は妻の上へ蔽い冠さるようにして、吸入器の口を妻の口の上へあてていた。――逃がしはせぬぞ、というかのように、妻の母は娘の苦しむ一息ごとに、顔を顰めて・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫