・・・即ち卒直なる感情よりも零細なる知識を重んずるものである。この故に処女崇拝者は恋愛上の衒学者と云わなければならぬ。あらゆる処女崇拝者の何か厳然と構えているのも或は偶然ではないかも知れない。 又 勿論処女らしさ崇拝は処女崇拝・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・向上心の弱い人は、生命を何物よりも重んずることになる。生命を極端に重んずるから、死の悲哀が極度に己れを苦しめる。だから向上心の弱い人には幸福はないということになる。宗教の問題も解決はそこに帰するのであろう、朝に道を聞いて夕べに死すとも可なり・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・壱岐殿坂時代の緑雨はまだこういう垢抜けした通人的気品を重んずる風が残っていた。 簾藤へ転じてからこの気風が全で変ってしまった。服装も書生風よりはむしろ破落戸――というと語弊があるが、同じ書生風でも堕落書生というような気味合があった。第一・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ いやしくも沼南は信誼を重んずる天下の士である。毎日新聞社は南風競わずして城を明渡さなくてはならなくなっても安い月給を甘んじて悪銭苦闘を続けて来た社員に一言の挨拶もなく解散するというは嚶鳴社以来の伝統の遺風からいっても許しがたい事だし、・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・幸福主義は必ず結果主義と結びつき、動機を重んずる人格主義と対立するが、道徳的価値の中核が動機になくてはならぬのは当然なことであって、結果の連想から生じたるものなら道徳の名に価しない。また幸福説は敬の感情を説明し得ない。心の深い人は到底幸福説・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・僕は、人間の名誉というものを重んずる方針なのだから、敢えて、盗んだとは言いません。早く返して下さい。僕は、大事にしていたんだ。僕は、この人に帽子と制服とだけは、お貸ししたけれど、君にナイフまでは、お貸しした覚えが無いのです。返して下さい。僕・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・、また、私に来客のある時には、その家の客間を使わずに、私の仕事部屋のほうにとおすという事にしていたのであるが、しかし、私は酒飲みであり、また東京から遊びに来るお客もちょいちょいあるし、里の権利を大いに重んずるつもりでいながら、つい申しわけの・・・ 太宰治 「薄明」
・・・ 昔の感激的の教育と、当時の情緒的なローマン主義の文芸と今の科学上の真を重んずる教育主義と、空想的ならざる自然主義の文芸と、相連って両者の変遷及び関係が明瞭になるのであります。かくして人心に向上の念がある以上、永久にローマン主義の存続を・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・現代の文芸で真を重んずるの弊は、こうなりはしまいかと思うのであります。否現にこうなりつつあると私は認めているのであります。 真を重んずるの結果、真に到着すれば何を書いても構わない事となる。真を発揮するの結果、美を構わない、善を構わない、・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢でない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具えていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。 しかし私は英文学・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
出典:青空文庫