・・・端の歩突きを考えていた野心的な棋師はほかにもあったに違いない。花田八段なども先手の場合には端の歩突きも可能かもしれぬと、漠然と考えていたようだ。が、誰もそれを実験してみたものはなかった。まして、後手で大事な対局にそれを実験してみたものは、あ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 一年ばかり、そこの記者衆を乗せて、出先と社の玄関を往復している間に、彼等の内幕やコツをすっかり覚えこんでしまったある雨の日、急に丹造の野心はもくもくと動きだして、よし、おれも一番記者になって……と、雨に敲かれた眼にきっと光を見せたが、・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
この戯曲は私の青春時代の記念塔だ。いろいろの意味で思い出がいっぱいまつわっている。私はやりたいと思う仕事の志がとげられず、精力も野心も鬱積してる今日、青春の回顧にふけるようなことはあまりないが、よく質問されるので、この戯曲・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・ それだのに、やつは、町の者のように華やかな生活をしてみたいと思っているからおかしい。野心も持っとるし、小心でもある。こいつくらい他人のキタないところをいつもかつもさぐっている奴は少ないであろう。自分のキタないところはまるで棚にあげて人・・・ 黒島伝治 「自画像」
・・・心境未だし、デッサン不正確なり、甘し、ひとり合点なり、文章粗雑、きめ荒し、生活無し、不潔なり、不遜なり、教養なし、思想不鮮明なり、俗の野心つよし、にせものなり、誇張多し、精神軽佻浮薄なり、自己陶酔に過ぎず、衒気、おっちょこちょい、気障なり、・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・彼は偉大なのらくら者、悒鬱な野心家、華美な薄倖児である。彼を絶えず照した怠惰の青い太陽は、天が彼に賦与した才能の半ばを蒸発させ、蚕食した。巴里、若しくは日本高円寺の恐るべき生活の中に往々見出し得るこの種の『半偉人』の中でも、サミュエルは特に・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・正しい希望、正しい野心、そんなものから遠く離れている事。つまり、理想の無いこと。批判はあっても、自分の生活に直接むすびつける積極性の無いこと。無反省。本当の自覚、自愛、自重がない。勇気のある行動をしても、そのあらゆる結果について、責任が持て・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・ 文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・パーレー万国史、クヮッケンボス文典などという書名を連ねた紙片に過ぎなかったが、それが恐ろしく幼い野心を燃え立たせた。いよいよパーレーを買いに行ったとき本屋の番頭に「たいそうお進みでございますねえ」といわれてひどくうれしがったものである。その・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・然も一思いに潔く殺され滅されてしまうのではなく、新時代の色々な野心家の汚らしい手にいじくり廻されて、散々慰まれ辱しめられた揚句、嬲り殺しにされてしまう傷しい運命。それから生ずる無限の哀傷が、即ち江戸音曲の真生命である。少くともそれは二十世紀・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫