・・・もし事情が許せば、静かなこの町で隠逸な余生を楽しむ場合、陽気でも陰気でもなく、意気でも野暮でもなく、なおまた、若くもなく老けてもいない、そしてばかでも高慢でもない代りに、そう悧巧でも愚図でもないような彼女と同棲しうるときの、寂しい幸福を想像・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・国務大臣が馬車や自動車に乗って怪しからんと言ったってそれは野暮の云う事です。我々が税を出して乗らしておいてやるので国務大臣のためじゃない、つまり己のためだと思えば間違はない。だから時々自動車ぐらい借りに行ってもよかろうと思う。税はそのくらい・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・また幾分は学問と反対の方面、すなわち俗に云う苦労をして、野暮を洗い落として、そうして再び野暮に安住しているところから起ったものと判断した。 そのうち、君は池辺君と露西亜の政党談をやり出した。大変興味があると見えて、いつまで立ってもやめな・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・のみならず報酬を目的に働らくのは野暮の至りだ。死ねば天堂へ行かれる、未来は雨蛙といっしょに蓮の葉に往生ができるから、この世で善行をしようという下卑た考と一般の論法で、それよりもなお一層陋劣な考だ。国を立つ前五六年の間にはこんな下等な考は起さ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・さなくても骨ばかりの痩せた身体に終始痛みが加わるので、僅かの身動きさえならず、苦しいの苦しくないのと、そんなことをいうだけ野暮な位になって来た。始めは客のある時は客の前を憚かって僅に顔をしかめたり、僅に泣声を出す位な事であったが、後にはそれ・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ こういう、云わば野暮な、問題のありのままの究明が、私たちの心に訴える力をもっているのは、決して只、その問題の書きかたがこれまでの「女の問題」の範囲から溢れた調子をもっているからというばかりではない。この種の問題が、ここで扱われているよ・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・互にまともな結婚もなかなかできない下級サラリーマンとウーマンとが、自分たちのゆがめられしぼられている小さい恋の花束を眺めて、野暮に憤る代りに、肩をすくめ、目交ぜし合い、やがて口笛を吹いてゆくような新らしげな受動性。あるいは「女の心」に扱われ・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・したがって、一層これ以前の時期から、野暮に正直に不遇な日本の民主精神と、平和への精神が追求される必要が痛感される。 宮本百合子 「「現代日本小説大系」刊行委員会への希望」
・・・次の戦争に利用することのできる八千五百万の人口と計算されているその日本の人民の数のうちに在りながら、野暮な詮議はどこかのひと隅へおしこんで、望月のかけるところない群々の饗宴がつづいた姿だった。 二 前年まで・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・の小盾に隠れてこの悶を野暮と呼び、ある人は「理想」の塹壕に身を沈めてこの煩を病的と呼ぶ。 人生問題はすべての歴史の根底に横たわる。星を数えつつ井戸に落ちた人、骨と皮とになるまで黙然として考えた人は史上の立て物ではない。しかしながら過去数・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫