・・・一瞬間声を呑んだ機械体操場の生徒たちは、鉄棒の上の丹波先生を仰ぎながら、まるで野球の応援でもする時のように、わっと囃し立てながら、拍手をした。 こう云う自分も皆と一しょに、喝采をしたのは勿論である。が、喝采している内に、自分は鉄棒の上の・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ ごつ/\した、几帳面な藤井先生までが、野球フワンとなっていた。慶応贔屓で、試合の仲継放送があると、わざわざ隣村の時計屋の前まで、自転車できゝに出かけた。 五月一日の朝のことである。今時分、O市では、中ノ島公園のあの橋をおりて、赤い・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・ 大隊長と、将校は、野球の見物でもするように、面白そうに緊張していた。 ユフカは、外国の軍隊を襲撃したパルチザンが逃げこんで百姓に化けるので有名だった。そればかりでなく、そこの百姓が残らずパルチザンだ。――ポーランド人の密偵の報告に・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・――野球の放送も、演芸も、浪花節も、オーケストラも。俺はすっかり喜んでしまった。これなら特等室だ、蒸しッ返えしの二十九日も退屈なく過ごせると思った。然し皆はそのために「特等室」と云っているのではなかった。始め、俺にはワケが分らなかった。・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・大学の野球の選手で新聞にしょっちゅう名前が出ていたではないか。弟もいま、大学へはいっている。俺は、感ずるところがあって、百姓になったが、しかし、兄でも弟でも、いまではこの俺に頭があがらん。なにせ、東京は食糧が無いんで、兄は大学を出て課長をし・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・ことしの春、よその会社と野球の試合をして、勝って、その時、上役に連れられて、日本橋の「さくら」という待合に行き、スズメという鶴よりも二つ三つ年上の芸者にもてた。それから、飲食店閉鎖の命令の出る直前に、もういちど、上役のお供で「さくら」に行き・・・ 太宰治 「犯人」
・・・到る処の店先にはラジオの野球放送に群がる人だかりがある。市内に這入るとこれがいっそう多くなる。こうして一度にそれからそれと見て通ると、ラジオ放送のために途上で立往生している人間の数がいかに多数であるかということをはっきりとリアライズすること・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・実はこういう自分にも近ごろの野球戦に群がる人間の大群の意味は充分完全にはよくわからないのである。 しかし蝗やフラミンゴーに限らず、ゼブラでもニューでも、インパラでもジラフでもみんな群れをなして棲息している。アフリカでは食うことの不自由は・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・この僧正にアメリカ野球選手との試合を記録させなかったのは残念である。 新東京の街路や河岸に立って、ありとあらゆる異種の要素の細かい切片の入り乱れた光景を見るときに、私は自然に日本帝国の地質図を思い出す。いろいろの時代のいろいろの火成岩や・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・近代的のものでもゴルフの外に庭球野球蹴球籠球排球などがあり、今は流行らぬクリケット、クロケーから、室内用にはピンポン、ビリアードそれから例のコリントゲームまである。日本の昔でも手鞠や打毬や蹴鞠はかなり古いものらしい。 人間ばかりかと思う・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
出典:青空文庫