・・・ 谷中から駒込までぶらぶら歩いて帰る道すがら、八百屋の店先の果物や野菜などの美しい色が今日はいつもよりは特別に眼についた。骨董屋の店先にある陶器の光沢にもつい心を引かれて足をとめた。 とある店の棚の上に支那製らしい壷のようなもの・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・平たく言えば、われわれ人間はこうした災難に養いはぐくまれて育って来たものであって、ちょうど野菜や鳥獣魚肉を食って育って来たと同じように災難を食って生き残って来た種族であって、野菜や肉類が無くなれば死滅しなければならないように、災難が無くなっ・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・また野菜を買いに八幡から鬼越中山の辺まで出かけてゆく。それはいずこも松の並木の聳えている砂道で、下肥を運ぶ農家の車に行き逢う外、殆ど人に出会うことはない。洋服をきたインテリ然たる人物に行逢うことなどは決してない。しかし人家はつづいている。人・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・それと共に四季折々の時候に従って俳諧的詩趣を覚えさせる野菜魚介の撰択に通暁している。それにもかかわらず私はもともと賤しい家業をした身体ですからと、万事に謙譲であって、いかほど家庭をよく修め男に満足と幸福を与えたからとて、露ほどもそれを己れの・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・また、草木に施す肥料の如き、これに感ずるおのおの急緩の別あり。野菜の類は肥料を受けて三日、すなわち青々の色に変ずといえども、樹木は寒中これに施してその効験は翌年の春夏に見るべきのみ。 いま人心は草木の如く、教育は肥料の如し。この人心に教・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・栗の実やわらびや野菜です。」「野菜はあなたがおつくりになるのですか。」「お日さまがおつくりになるのです。」「どんなものですか。」「さよう。みず、ほうな、しどけ、うど、そのほか、しめじ、きんたけなどです。」「今年はうどの出・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・年とったおっ母さんが野菜売りに歩きはじめて一日に十銭から十五銭。救農事業というものが、どこの地方でも食わせものであることに、あきれたと書いている。 内職もひどいもので繩一まる三十六銭。しかもこれは馴れた腕の大の男が朝六時半ごろから夜八時・・・ 宮本百合子 「今にわれらも」
・・・肴は長浜の女が盤台を頭の上に載せて売りに来るのであるが、まだ小鯛を一度しか買わない。野菜が旨いというので、胡瓜や茄子ばかり食っている。酒はまるで呑まない。菓子は一度買って来いと云われて、名物の鶴の子を買って来た処が、「まずいなあ」と云いなが・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・母は竈の前で青い野菜を洗っていた。灸は庭の飛び石の上を渡って泉水の鯉を見にいった。鯉は静に藻の中に隠れていた。灸はちょっと指先を水の中へつけてみた。灸の眉毛には細かい雨が溜り出した。「灸ちゃん。雨がかかるじゃないの。灸ちゃん。雨がよう。・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・蓮根は日本人の食う野菜のうちのかなりに多い部分を占めている。 というようなことは、私はかねがね承知していたのであるが、しかし巨椋池のまん中で、咲きそろっている蓮の花をながめたときには、私は心の底から驚いた。蓮の花というものがこれほどまで・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫