・・・素朴な野薔薇の花を交えた、実りの豊かな麦畠である。おぎんは両親を失った後、じょあん孫七の養女になった。孫七の妻、じょあんなおすみも、やはり心の優しい人である。おぎんはこの夫婦と一しょに、牛を追ったり麦を刈ったり、幸福にその日を送っていた。勿・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・ その杉を、右の方へ、山道が樹がくれに続いて、木の根、岩角、雑草が人の脊より高く生乱れ、どくだみの香深く、薊が凄じく咲き、野茨の花の白いのも、時ならぬ黄昏の仄明るさに、人の目を迷わして、行手を遮る趣がある。梢に響く波の音、吹当つる浜風は・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・私は何かの道中記の挿絵に、土手の薄に野茨の実がこぼれた中に、折敷に栗を塩尻に積んで三つばかり。細竹に筒をさして、四もんと、四つ、銭の形を描き入れて、傍に草鞋まで並べた、山路の景色を思出した。 二「この蕈は何と言い・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・径に、ちらちらと、この友染が、小提灯で、川風が水に添い、野茨、卯の花。且つちり乱るる、山裾の草にほのめいた時は、向瀬の流れも、低い磧の撫子を越して、駒下駄に寄ったろう。…… 風が、どっと吹いて、蓮根市の土間は廂下りに五月闇のように暗・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・なぜというと、向こうには赤い屋根と旗が見えますし、道の両側には白あじさいと野薔薇が恋でもしているように二つずつならんで植わっていましたから。 むすめもひとりで歩けました。しかして手かごいっぱいに花を摘み入れました。聖ヨハネ祭の夜宮には人・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・ 高野さちよを野薔薇としたら、八重田数枝は、あざみである。大阪の生れで、もともと貧しい育ちの娘であった。お菓子屋をしている老父母は健在である。多くの弟妹があって、数枝はその長女である。小学校を出たきりで、そのうちに十九歳、問屋からし・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・しかしながら、病気以前のラプンツェルの、うぶ毛の多い、野薔薇のような可憐な顔ではなく、いま生き返って、幽かに笑っている顔は、之は草花にたとえるならば、まず桔梗であろうか。月見草であろうか。とにかく秋の草花である。魔法の祭壇から降りて、淋しく・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・コールタを流したような真黒な溝の水に沿い、外囲いの間の小径に進入ると、さすがに若葉の下陰青々として苔の色も鮮かに、漂いくる野薔薇の花の香に虻のむらがり鳴く声が耳立って聞える。小径の片側には園内の地を借りて二階建の俗悪な料理屋がある。その生垣・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・子規○僕が死んだら道端か原の真中に葬って土饅頭を築いて野茨を植えてもらいたい。石を建てるのはいやだがやむなくば沢庵石のようなごろごろした白い石を三つか四つかころがして置くばかりにしてもらおう。もしそれも出来なければ円形か四角・・・ 正岡子規 「墓」
・・・それから野茨の匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。 そしたら俄かにそこに、つやつやした黒い髪の六つばかりの男の子が赤・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
出典:青空文庫