・・・人からは思われるものであっても、それが丁度、当該審査委員の正に求めている壷にはまり、その委員の刻下の疑団を氷解せしめるような要点に触れている場合には、その審査委員の眼にとっては、その仕事の価値が異常に釣り上げられて見えるのは人情の自然であろ・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・自分の能力を計らないで六かしい学問に志していっぱしの騎士になったつもりで武者修行に出かけて、そうしてつまらない問題ととっ組み合って怪物のつもりでただの羊を仕とめてみたり、風車に突きかかって空中に釣り上げられるような目に会ったことはなかったか・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ 子供の時分の正月の記憶で身に沁みた寒さに関するものは、着馴れぬ絹物の妙につめたい手ざわりと、穿きなれぬまちの高い袴に釣上げられた裾の冷え心地であった。その高い襠で擦れた内股にひびが切れて、風呂に入るとこれにひどくしみて痛むのもつらかっ・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・する中或日の事、学生の釣り上げた鮒かと思う大きな魚がわれわれのボートに飛び込んだ。学生は大きな声を出してわれわれを呼んだ。わたくしはその魚を押えて学生の立っている桟橋へ舟をつけたので、すっかり心安くなり、その後われわれが弁当なぞ食べているの・・・ 永井荷風 「向島」
・・・睨まれると凄いような、にッこりされると戦いつきたいような、清しい可愛らしい重縁眼が少し催涙で、一の字眉を癪だというあんばいに釣り上げている。纈り腮をわざと突き出したほど上を仰き、左の牙歯が上唇を噛んでいるので、高い美しい鼻は高慢らしくも見え・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・その句、行き/\てこゝに行き行く夏野かな朝霧や杭打つ音丁々たり帛を裂く琵琶の流れや秋の声釣り上げし鱸の巨口玉や吐く三径の十歩に尽きて蓼の花冬籠り燈下に書すと書かれたり侘禅師から鮭に白頭の吟を彫る秋風の呉人・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・上へ上へと吊り上げられて行ったものが、禁止で、下へ下って一般生活の質の向上としてひろがって来るかといえば、どうもそういうことには行かなそうである。やすいもの、皆が買うもの、やっぱりこの価ではこれ位のものか、という状態に止まるらしい。そうだと・・・ 宮本百合子 「その先の問題」
・・・「どこんでしょうね、うちのは高い所に吊り上げてあるし、もっとずーっと長いしするから…… おとなりんじゃあないでしょうか。「そうかもしれない、 あ、ほらね此処が此那に折れてるでしょう。 向うから此方へ階子を下して、此れ・・・ 宮本百合子 「盗難」
・・・病人は釣り上げた鯉のように、煎餅布団の上で跳ね上がった。 花房は右の片足を敷居に踏み掛けたままで、はっと思って、左を床の上へ運ぶことを躊躇した。 横に三畳の畳を隔てて、花房が敷居に踏み掛けた足の撞突が、波動を病人の体に及ぼして、微細・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・ 秋三は棺を一人で吊り上げてみた。「此奴、軽石みたいな奴や。」「そやそや、お前今頃から棺桶の中へ入れたらあかんがな。お医者さんの診断書貰うて、役場へ死亡届出さにゃ叱られるわして。」とお留は云った。「そんなら、もういっぺん打ち・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫