・・・一日暑い盛りに門へ出たら、木陰で桶屋が釣瓶や桶のたがをはめていた。きれいに掃いた道に青竹の削りくずや鉋くずが散らばって楝の花がこぼれている。桶屋は黒い痘痕のある一癖ありそうな男である。手ぬぐい地の肌着から黒い胸毛を現わしてた・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・そをくみあげる小さな一つの 釣瓶昼はひねもす 夜はよもすがらささやかに 軋り まわれど水は つきずわが おもい 絶ゆることなし。或時は、疲れたる手を止め瞳遠き彼方を見る。美しい五月の自然白雲の・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・ お豊さんは台所の棚から手桶をおろして、それを持ってそばの井戸端に出て、水を一釣瓶汲み込んで、それに桃の枝を投げ入れた。すべての動作がいかにもかいがいしい。使命を含んで来たご新造は、これならば弟のよめにしても早速役に立つだろうと思って、・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・が、またぶらぶら流し元まで戻って来ると俎を裏返してみたが急に彼は井戸傍の跳ね釣瓶の下へ駆け出した。「これは甘いぞ、甘いぞ。」 そういいながら吉は釣瓶の尻の重りに縛り付けられた欅の丸太を取りはずして、その代わり石を縛り付けた。 暫・・・ 横光利一 「笑われた子」
出典:青空文庫