・・・お座敷着で、お銚子を持って、ほかの朋輩なみに乙につんとすましてさ。始は僕も人ちがいかと思ったが、側へ来たのを見ると、お徳にちがいない。もの云う度に、顋をしゃくる癖も、昔の通りだ。――僕は実際無常を感じてしまったね。あれでも君、元は志村の岡惚・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・ほどなく泰さんに別れると、すぐ新蔵が取って返したのは、回向院前の坊主軍鶏で、あたりが暗くなるのを待ちながら、銚子も二三本空にしました。そうして日がとっぷり暮れると同時に、またそこを飛び出して、酒臭い息を吐きながら、夏外套の袖を後へ刎ねて、押・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・(いままだ、銀座裏で飲んでいよう、すました顔して、すくすくと銚子「つい近頃だと言いますよ。それも、わけがありましてね、私が今夜、――その酒場へ、槍、鉄棒で押掛けたといいました。やっぱりその事でおかきなすったんだけれどもね。まあ、お目・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・これえ、何を、お銚子を早く。」「唯、もう燗けてござりえす。」と女房が腰を浮かす、その裾端折で。 織次は、酔った勢で、とも思う事があったので、黙っていた。「ぬたをの……今、私が擂鉢に拵えて置いた、あれを、鉢に入れて、小皿を二つ、可・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 口を溢れそうに、なみなみと二合のお銚子。 いい心持の処へ、またお銚子が出た。 喜多八の懐中、これにきたなくもうしろを見せて、「こいつは余計だっけ。」「でも、あの、四合罎一本、よそから取って上げましたので、なあ。」 ・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・傾けた徳利の酒が不足であったので、「おい、お銚子」と、奥へ注意してから、「女房は弱いし、餓鬼は毎日泣きおる、これも困るさかいなア。」「それはお互いのことだア。ね」と、僕が答えるとたん、から紙が開いて、細君が熱そうなお燗を持って出て来たが・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・やがてはしご段をあがって、廊下に違った足音がすると思うと、吉弥が銚子を持って来たのだ。けさ見た素顔やなりふりとは違って、尋常な芸者に出来あがっている。「けさほどは失礼致しました」と、しとやかながら冷かすように手をついた。「僕こそお礼・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・と言いながら、手を叩いて女中を呼び、「おい姐さん、銚子の代りを……熱く頼むよ。それから間鴨をもう二人前、雑物を交ぜてね」 で、間もなくお誂えが来る。男は徳利を取り揚げて、「さあ、熱いのが来たから、一つ注ごう」 女も今度は素直に盃を受・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・石田は苦味走ったいい男で、新内の喉がよく、彼女が銚子を持って廊下を通ると、通せんぼうの手をひろげるような無邪気な所もあり、大宮校長から掛って来た電話を聴いていると、嫉けるぜと言いながら寄って来てくすぐったり、好いたらしい男だと思っている内に・・・ 織田作之助 「世相」
・・・煙草盆はひっくりかえす、茶碗が転る、銚子は割れる、興奮のあまり刀を振りまわすこともあり、伊助の神経には堪えられぬことばかしであった。 登勢は抜身の刀などすこしも怖がらず、そんな客のさっぱりした気性もむしろ微笑ましかったが、しかし夫がいや・・・ 織田作之助 「螢」
出典:青空文庫