・・・演り方が旨いとか下手いとか云う芸術上の鑑賞の余地がないくらい厭です。中村不折が隣りにいて、あのとき芸術上の批評を加えていたのを聞いて実に意外に思いました。ところが芝居の好きな人には私の厭だと思うところはいっこう応えないように見えますがどうで・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・ 我々は自ら相応に鑑賞力のある文士と自任して、常住他の作物に対して、自己の正当と信ずる評価を公けにして憚らないのみか、芸術上において相互発展進歩の余地はこれより外にないとまで考えている。けれども我々の批判はあくまでも我々一家の批判である・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・ もっとも文芸と云うものは鑑賞の上においても、創作の上においても、多少の抽出法を含むものであります。その極端に至ると妙な現象が生じます。たとえば、かの裸体画が公々然と青天白日の下に曝されるようなものであります。一般社会の風紀から云うと裸・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・だから保羅の説いた耶蘇教が、その実保羅自身の耶蘇教であつて、他のいかなる耶蘇教ともちがつてゐた――恐らくは耶蘇自身の耶蘇教ともちがつてゐた――と同じく、私の鑑賞によるところの雪舟は、私自身の雪舟であつて他のいかなる人々の見た雪舟とも差別され・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・それなりに評価されていて、紫陽花には珍しい色合いの花が咲けば、その現象を自然のままに見て、これはマア紫陽花に数少い色合であることよ、という風に鑑賞されている。牝鹿がある時どんなに優しく、ある時どんなに猛くてもやはりそれなり牝鹿らしいと見るま・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・ こういう風に見て来て、あの答えを考え直すと、あのひとは日ごろ何と云っても曖昧な鑑賞の態度で映画も見ているのだと思う。自分にはっきり、よさを感じる自分の心持の本質がつかめていないのだと思う。だからいざとなると、主観の上での好きさにたよっ・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・ わたくしは、小説をかく者ですから、『仰日』をはじから拝見しながらも、いつかそれを生活的に立体化して感受し、日々の生活の描写にまじえて、自然鑑賞の歌をうけとるという工合になります。生活の歌はほとんどすべて率直であって、その瞬間の真実に立・・・ 宮本百合子 「歌集『仰日』の著者に」
・・・僕は自ら絵の具の性質と戦った経験を有していないが、ただ鑑賞者として画に対する場合にも、この事を強く感ぜずにはいられない。油絵の具は第一に不透明であって、厚みの感じや、実質が中に充ちている感じを、それ自身の内に伴なっている。日本絵の具は透明で・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・ 芸術品は、もしそれが真に芸術品であり、また正当に芸術品として鑑賞されれば、いかなる場合にも社会の秩序を乱し風俗を壊乱するというような影響を与えるものでない。むしろ鑑賞者の生活を高め豊富にするということによって、間接に社会の秩序を高め風・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・従って彼の自由な、余裕ある、落ちついた鑑賞の態度は、彼の「人」としての大いさから出ているのである。ここに木下がこの師からさらに深く学ぶべきものがある。そうして自分の木下に対する友情は、木下に向かって「この師にさらに深く学ぶ」ことを忠告させよ・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫