・・・小えんは踊りも名を取っている。長唄も柳橋では指折りだそうだ。そのほか発句も出来るというし、千蔭流とかの仮名も上手だという。それも皆若槻のおかげなんだ。そういう消息を知っている僕は、君たちさえ笑止に思う以上、呆れ返らざるを得ないじゃないか?・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・するとそれを見た姉のお絹が、来月は長唄のお浚いがあるから、今度は自分にも着物を一つ、拵えてくれろと云い出した。父はにやにや笑ったぎり、全然その言葉に取り合わなかった。姉はすぐに怒り出した。そうして父に背を向けたまま、口惜しそうに毒口を利いた・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 一四 幽霊 僕は小学校へはいっていたころ、どこの長唄の女師匠は亭主の怨霊にとりつかれているとか、ここの仕事師のお婆さんは嫁の幽霊に責められているとか、いろいろの怪談を聞かせられた。それをまた僕に聞かせたのは僕の祖父・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・しぶいさびの中に、長唄や清元にきく事の出来ないつやをかくした一中の唄と絃とは、幾年となくこの世にすみふるして、すいもあまいも、かみ分けた心の底にも、時ならない情の波を立てさせずには置かないのであろう。「浅間の上」がきれて「花子」のかけあ・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・辻には長唄の流しも聞えた。 この七の日は、番町の大銀杏とともに名高い、二七の不動尊の縁日で、月六斎。かしらの二日は大粒の雨が、ちょうど夜店の出盛る頃に、ぱらぱら生暖い風に吹きつけたために――その癖すぐに晴れたけれども――丸潰れとなった。・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・目を煩らって、しばらく親許へ、納屋同然な二階借りで引き籠もって、内職に、娘子供に長唄なんか、さらって暮らしていなさるところへ、思い余って、細君が訪ねたのでございます。」(お艶さん、私はそう存じます。私が、貴女ほどお美しければ、「こんな女・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・河東節の批評はほぼ同感であったが、私が日本の俗曲では何といっても長唄であると長唄礼讃を主張すると、長唄は奥さん向きの家庭音曲であると排斥して、何といっても隅田河原の霞を罩めた春の夕暮というような日本民族独特の淡い哀愁を誘って日本の民衆の腸に・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・た孫七峯とつづき合で、七峯は当時の名士であった楊文襄、文太史、祝京兆、唐解元、李西涯等と朋友で、七峯のいたところの南山で、正徳十五年七峯が蘭亭の古のように修禊の会をした時は、唐六如が図をつくり、兼ねて長歌を題した位で、孫氏は単に大富豪だった・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・たまにはラジオで長唄や落語など聴く事もあった。西洋音楽は自分では分らないと云っていたが、音楽に堪能な令息恭雄氏の話によると相当な批判力をもっていたそうである。 運動で鍛えた身体であったが、中年の頃赤痢にかかってから不断腸の工合が悪かった・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・その一例とも見られるのは、『諸国咄』の中の「忍び扇の長歌」に、ある高貴な姫君と身分の低い男との恋愛事件が暴露して男は即座に成敗され、姫には自害を勧めると、姫は断然その勧告をはねつけて一流の「不義論」を陳述したという話がある。その姫の言葉は「・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
出典:青空文庫