・・・ よう/\三百の帰った後で、彼は傍で聴いていた長男と顔を見交わして苦笑しながら云った。「……そう、変な奴」 子供も同じように悲しそうな苦笑を浮べて云った。…… 狭い庭の隣りが墓地になっていた。そこの今にも倒れそうになって・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・別荘へは長男の童が朝夕二度の牛乳を運べば、青年いつしかこの童と親しみ、その後は乳屋の主人とも微笑みて物語するようになりぬ。されど物語の種はさまで多からず、牛の事、牛乳の事、花客先のうわさなどに過ぎざりき。牛乳屋の物食う口は牛七匹と人五人のみ・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ 長男は、根もとから折られた西洋桜を、立てらしてつぎ合わそうとした。それは、春、長男が山から掘ってきて、家の前に植えたものだ。子供は、つぎ合わせば、それがいきつくもののように、熱心に、倒れようとする桜を立てらした。しかし、駄目だった。・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・四人の兄妹の中での長男として、自分はいちばん長く父のそばにいて見たから、それだけ親しみを感ずる心も深いとしたところがあり、それからまた、父の勧農によって自分もその気になり、今では鍬を手にして田園の自然を楽しむ身であるが、四年の月日もむなしく・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・娘のほうにはいくらか薄くしても、長男に厚くしたものか。それとも四人の兄妹に同じように分けてくれたものか。そこまでの腹はまだきまらなかった。 娘のしたくのことを世間普通の親のように考えると、第一に金のかかるのは着物だ。そういうしたくに際限・・・ 島崎藤村 「分配」
兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。長男は二十九歳。法学士である。ひとに接するとき、少し尊大ぶる悪癖があるけれども、これは彼自身の弱さを庇う鬼の面であって、まことは弱く、とても優しい。弟妹たちと映画を見にいって、これは駄作だ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・四国の或る殿様の別家の、大谷男爵の次男で、いまは不身持のため勘当せられているが、いまに父の男爵が死ねば、長男と二人で、財産をわける事になっている。頭がよくて、天才、というものだ。二十一で本を書いて、それが石川啄木という大天才の書いた本よりも・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・「子供がねえ、あなた、ここの駅につとめるようになりましてな、それが長男です。それから男、女、女、その末のが八つでことし小学校にあがりました。もう一安心。お慶も苦労いたしました。なんというか、まあ、お宅のような大家にあがって行儀見習いした・・・ 太宰治 「黄金風景」
・・・ 自分が活動写真の存在を忘れているうちに、活動のほうでは、そういう自分の存在などは問題にしないで悠々と日本全国を征服していた。長男が中学へ入学したときに父兄として呼び出されて行った。その時に控え室となっていた教場の机の上にナイフでたんね・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・重兵衛さんの晩酌の膳を取巻いて、その巧妙なお伽噺を傾聴する聴衆の中には時々幼い自分も交じっていた。重兵衛さんの長男は自分等よりはだいぶ年長で、いつもよく勉強をしていたのでその仲間にははいらなかったが、次男の亀さんとその妹の丑尾さんとが定連の・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
出典:青空文庫