・・・ これはもう一人の物理の教官、――長谷川と云う理学士の言葉だった。保吉は彼をふり返った。長谷川は保吉の後ろの机に試験の答案を調べかけたなり、額の禿げ上った顔中に当惑そうな薄笑いを漲らせていた。「こりゃ怪しからん。僕の発見は長谷川君を・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・ 秋の末に帰京すると、留守中の来訪者の名刺の中に意外にも長谷川辰之助の名を発見してあたかも酸を懐うて梅実を見る如くに歓喜し、その翌々日の夕方初めて二葉亭を猿楽町に訪問した。 丁度日が暮れて間もなくであった。座敷の縁側を通り過ぎて陰気・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 私のような何にも知らないものさえ実はこの位にしか思わなかったのだから、その当時既にトルストイをもガンチャローフをもドストエフスキーをも読んでいた故長谷川二葉亭が下らぬものだと思ったのは無理もない、小説に関する真実の先覚者は坪内君よりは・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・ 絹代とは田中絹代、一夫とは長谷川一夫だとどうやらわかったが、高瀬とは高瀬なにがしかと考えていると、「貴方は誰ですの?」「高瀬です」 つい言った。「まあ」 さすがに暫らくあきれていたようだったが、やがて、「高瀬は・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・愈々大津の息子はお梅さんを貰いに帰ったのだろう、甘く行けば後の高山の文さんと長谷川の息子が失望するだろう、何に田舎でこそお梅さんは美人じゃが東京に行けばあの位の女は沢山にありますから後の二人だってお梅さんばかり狙うてもおらんよ、など厄鬼にな・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
二葉亭主人の逝去は、文壇に取っての恨事で、如何にも残念に存じます。私は長谷川君とは対面するような何等の機会をも有さなかったので、親しく語を交えた事はありませんが、同君の製作をとおして同君を知った事は決して昨今ではありません。抑まだ私な・・・ 幸田露伴 「言語体の文章と浮雲」
・・・ 一昨年の夏、ロシアより帰国の途中物故した長谷川二葉亭を、朝野こぞって哀悼したころであった。杉村楚人冠は、わたくしにたわむれて、「君も先年アメリカへの往きか返りかに船のなかででも死んだら、えらいもんだったがなァ」といった。彼の言は、戯言・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 一昨年の夏、露国より帰航の途中で物故した長谷川二葉亭を、朝野挙って哀悼した所であった、杉村楚人冠は私に戯れて、「君も先年米国への往きか帰りかに船の中ででも死んだら偉いもんだったがなア」と言った。彼れの言は戯言である、左れど実際私として・・・ 幸徳秋水 「死生」
長谷川君と余は互に名前を知るだけで、その他には何の接触もなかった。余が入社の当時すらも、長谷川君がすでにわが朝日の社員であるという事を知らなかったように記憶している。それを知り出したのは、どう云う機会であったか今は忘却して・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・に六人の家族に頭割りにすべし例せば社より六百円渡りたる時は頭割にして一人の所得百円となる計算也一 此分配法ニ異議ありとも変更を許さず右之通明治四十二年三月二十二日 露都病院にて長谷川辰之助長谷川静子殿長谷・・・ 二葉亭四迷 「遺言状・遺族善後策」
出典:青空文庫