・・・それだけにまた彼の手足となる門弟の数も多かった。甚太夫はそこで惴りながらも、兵衛が一人外出する機会を待たなければならなかった。 機会は容易に来なかった。兵衛はほとんど昼夜とも、屋敷にとじこもっているらしかった。その内に彼等の旅籠の庭には・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
これは狐か狸だろう、矢張、俳優だが、数年以前のこと、今の沢村宗十郎氏の門弟で某という男が、或夏の晩他所からの帰りが大分遅くなったので、折詰を片手にしながら、てくてく馬道の通りを急いでやって来て、さて聖天下の今戸橋のところま・・・ 小山内薫 「今戸狐」
・・・そこでは並びなき法華経の護持者としての栄冠が彼を待っていることを門弟、檀那、帰依の大衆は信じて疑わず、声をうち揃えて、南無妙法蓮華経を高らかに唱題したのであった。 毎年十月十八日の彼の命日には、私の住居にほど近き池上本門寺の御会式に・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・富士太夫の第一の門弟だという。二階の金襖の部屋で、その師匠が兄に新内を語って聞かせた。私もお附合いに、聞かせてもらう事になった。明烏と累身売りの段を語った。私は聞いていて、膝がしびれてかなりの苦痛を味い、かぜをひいたような気持になったが、病・・・ 太宰治 「庭」
・・・暇乞のためだから別段の話しも出なかったが、ただ門弟としての物集の御嬢さんと今一人北国の人の事を繰り返して頼んで行った。 一日越えて、余が答礼に行った時は、不在で逢えなかった。見送りにはつい行かなかった。長谷川君とは、それきり逢えない事に・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・芭蕉の見識はきわめて低くきわめて幼し。芭蕉の門弟は芭蕉よりも客観的の句を作る者多しといえども、皆客観を写すこと不完全なれば直ちにこれを画とせんにはなお足らざるものあり。 蕪村の句の絵画的なるものは枚挙すべきにあらねど、十余句を挙ぐれば・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫