・・・一七 僕は河童の国から帰ってきた後、しばらくは我々人間の皮膚の匂いに閉口しました。我々人間に比べれば、河童は実に清潔なものです。のみならず我々人間の頭は河童ばかり見ていた僕にはいかにも気味の悪いものに見えました。これはあるい・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ 権助にこう云われると、閉口したのは主人の医者です。何しろ一文も給金をやらずに、二十年間も使った後ですから、いまさら仙術は知らぬなぞとは、云えた義理ではありません。医者はそこで仕方なしに、「仙人になる術を知っているのは、おれの女房の・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・あとで何膳ずつかに分ける段になると、その漆臭いにおいが、いつまでも手に残ったので閉口した。ちょっと嗅いでも胸が悪くなる。福引の景品に、能代塗の箸は、孫子の代まで禁物だと、しみじみ悟ったのはこの時である。 籤ができあがると、原君と依田君と・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・酔うといつでも大肌ぬぎになって、すわったままひとり角力を取って見せたものだったが、どうした癖か、唇を締めておいて、ぷっぷっと唾を霧のように吹き出すのには閉口した」 そんなことをおおげさに言いだして父は高笑いをした。監督も懐旧の情を催すら・・・ 有島武郎 「親子」
・・・主人も、非常に閉口したので、警察署へも依頼した、警察署の連中は、多分その家に七歳になる男の児があったが、それの行為だろうと、或時その児を紐で、母親に附着けておいたそうだけれども、悪戯は依然止まぬ。就中、恐ろしかったというのは、或晩多勢の人が・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・とは何の事だと質問した時は、有繋の緑雨も閉口して兜を抜いで降参した。その頃の若い学士たちの馬鹿々々しい質問や楽屋落や内緒咄の剔抉きが後の『おぼえ帳』や『控え帳』の材料となったのだ。 何でもその時分だった。『帝国文学』を課題とした川柳をイ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ だが、同じ日本の俗曲でも、河東節の会へ一緒に聴きに行った事があるが、河東節には閉口したらしく、なるほど親類だけに二段聴きだ、アンナものは三味線の揺籃時代の産物だといって根っから感服しなかった。河東節の批評はほぼ同感であったが、私が日本・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・夜なかに咳が出て閉口した。 翌朝眼がさめると、白い川の眺めがいきなり眼の前に展けていた。いつの間にか雨戸は明けはなたれていて、部屋のなかが急に軽い。山の朝の空気だ。それをがつがつと齧ると、ほんとうに胸が清々した。ほっとしたが、同時に夜が・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・何しろ運わるく妻が郷里に病人が出来て帰って居る、……そんなこんなでね、余り閉口してるもんだからね。……」「……そう、それが、君の方では、それ程大したことではないと思ってるか知らんがね、何にしてもそれは無理をしても先方の要求通り越しちまう・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・彼は閉口してしまった。 印度人は席へ下りて立会人を物色している。一人の男が腕をつかまれたまま、危う気な羞笑をしていた。その男はとうとう舞台へ連れてゆかれた。 髪の毛を前へおろして、糊の寝た浴衣を着、暑いのに黒足袋を穿いていた。にこに・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
出典:青空文庫