・・・しかしまた、乗り換え切符を出さなくなったために乗客の選ぶコースが平常と変わり、その結果としていつもは混雑するある時刻のある線路が異常に閑散になったというような現象もあるらしく思われた。この異常時の各線路の乗客数の調査をしたら市電将来の経営に・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・彼の仕事はかなり閑散であった。 どこを見ても白チョークでも塗ったような静かな道を、私は莨をふかしながら、かなり歯の低くなった日和下駄をはいて、彼と並んでこつこつ歩いた。そこは床屋とか洗濯屋とかパン屋とか雑貨店などのある町筋であった。中に・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・ 閑散な日の光をあびて、劇場広場の角に大きな水色の横旗がさがっている。そこに日本語で、万国の労働者団結せよ!と書いてあるのが、今日は遠くからはっきり見える。 昨日踵の低い靴をはいて数露里・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
・・・ お詣りの定期が終ったばかりだそうで、土産ものやの前は閑散であるし、虎丸旅館と大看板を下げたその家もしずかである。朝飯のとき前もってきめられていた方の室へ落付くと、石段町の裏の眺めはなかなか風情があった。古風なその一室は、余り高くない裏・・・ 宮本百合子 「琴平」
・・・涼しい夏の夜を白服の給仕が、食器棚の鏡にメロンが映っている前に、閑散そうに佇んでいる。「――寂しいわね、ホテルも、これでは」「――第一、これが」 友達は、自分の前にある皿を眼で示した。「ちっとも美味しくありゃしない。――滑稽・・・ 宮本百合子 「三鞭酒」
・・・ スチームのとおっている汽車の中はどっちかというと閑散で、くくられた桑の細い枯枝に一瞬煙が白く絡んで飛び去る速い眺めは冬のひろい寒さを感じさせた。ひどく古風な短いインバネスをはおり、茶色の帽子をかぶった百姓らしい頬骨の四十男が居睡りをし・・・ 宮本百合子 「東京へ近づく一時間」
・・・昼ごろの故か、往来は至って閑散だ。左側に古風な建物の領事館などある。或角を曲った。支那両替屋の招牌が幌を掠めた。首をこごめて往来をのぞくと、右手に畳を縫って居る職人、向側の塵埃っぽい大硝子窓の奥で針を働して居る洋服工、つい俥の下で逃げ出す鶏・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・一体、九州も、東海岸をずーっと南に降る線、および鹿児島から北に昇って長崎へ行く列車など、実に閑散なものだ。窓硝子に雨の滴のついた車室にいるのは、私共と、大学生一人、遠くはなれて官吏らしい男が二人乗り合わせているぎり。海岸に沿うて、汽車は山腹・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫