・・・こうした活気はすべてのものの勃興時代にのみ見らるるものであって、一度隆盛期を通り越すと消えてしまう。これはどうにも仕様のないものである。 たしか浅井和田両画伯の合作であったかと思うがフランスのグレーの田舎へ絵をかきに行った日記のようなも・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・曾祖父は剣道の師範のような事をやっていて、そのころはかなり家運が隆盛であったらしい。竹刀が長持ちに幾杯とかあったというような事を亮の祖母から聞いた事がある。 亮の父すなわち私の姉の夫は、同時にまた私や姉の従兄に当たっている。少年時代には・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・総テ這地ノ隆盛ナル反ツテ旧趾ノ南浜新駅ヲ羞シムベキ景勢ナリ。然リト雖モ其ノ諸ヲ吉原ニ比較スレバ縦ヘ大楼ト謂フ可キモ亦カノ半籬ニモ及ブ可カラズ。其ノ余ハ推シテ量ル可キナリ矣。」 根津の遊里は斯くの如く一時繁栄を極めたが、明治二十一年六月三・・・ 永井荷風 「上野」
・・・これは帰朝の途上わたくしが土耳古の国旗に敬礼をしたり、西郷隆盛の銅像を称美しなかった事などに起因したのであろう。しかし静に考察すれば芸術家が土耳古の山河風俗を愛惜する事は、敢て異となすには及ばない。ピエール・ロチは欧洲人が多年土耳古を敵視し・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・「豆腐屋の癖に西郷隆盛のような顔をしているからおかしいんだよ。時にこう、精進料理じゃ、あした、御山へ登れそうもないな」「また御馳走を食いたがる」「食いたがるって、これじゃ営養不良になるばかりだ」「なにこれほど御馳走があればた・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・海軍が進歩した、陸軍が強大になった、工業が発達した、学問が隆盛になったとは思うが、それを認めると等しく、しかあるべきはずだと考えるだけで、未だかつて「如何にして」とか「何故に」とか不審を打った試しがない。必竟われらは一種の潮流の中に生息して・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・唯、科学隆盛以来、哲学は科学の下婢となったという感なきを得ない。輓近に至って、単に認識論的となり、更に実用主義的ともなった。哲学は哲学自身の問題を失ったかと思われるのである。 私はデカルト哲学へ返れというのではない。唯、なお一度デカ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・試に今日女子の教育を視よ、都鄙一般に流行して、その流行の極、しきりに新奇を好み、山村水落に女子英語学校ありて、生徒の数、常に幾十人ありなどいえるは毎度伝聞するところにして、世の愚人はこれをもって教育の隆盛を卜することならんといえども、我が輩・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・元禄の盛運は芭蕉を中心として成りしもの、蕪村の天明におけるは芭蕉の元禄におけるがごとくならざりしといえども、天明の隆盛を来たせしものその力最も多きにおる。天明の余勢は寛政、文化に及んで漸次に衰え、文政以後また痕迹を留めず。 和歌は万葉以・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・当然、それらの都市での文化も、決して強い独特な隆盛をもち得なかったのであった。 乏しい故の中央集権が、日本各地方の文化にそれぞれ独特な、ゆたかな展開を可能としなかった上に、一層わるいことは、その状態のまま文化面でも出版業のような利潤追求・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
出典:青空文庫