・・・膝が、やっと隠れるくらいで、毛臑が無残に露出している。ゴルフパンツのようである。私は流石に苦笑した。「よせよ。」佐伯は、早速嘲笑した。「なってないじゃないか。」「そうですね。」熊本君も、腕をうしろに組んで、私の姿をつくづく見上げ、見・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ ことしの正月、山梨県、甲府のまちはずれに八畳、三畳、一畳という草庵を借り、こっそり隠れるように住みこみ、下手な小説あくせく書きすすめていたのであるが、この甲府のまち、どこへ行っても犬がいる。おびただしいのである。往来に、あるいは佇み、・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・はげしい恐慌に襲われた彼らは自分の身長の何倍、あるいは何十倍の高さを飛び上がってすぐ前面の茂みに隠れる。そうして再び鋏がそこに迫って来るまではそこで落ち付いているらしい。彼らの恐慌は単に反射的の動作に過ぎないか、あるいは非常に短い記憶しか持・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・粥釣りに来るおおぜいの中でも勇敢なのは堂々と先頭に立ってやって来るが、気の弱いのは先頭の背後に隠れるようにして袋をさし出すのもある。しかしなにしろおもに近所の人たちであるから、たとえ女の着物を着たり、羽織をさかさまに着たりしていてもおおよそ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・進んでそれらのものを打壊そうとするよりもむしろ退いて隠れるに如くはないと思ったからである。何も彼も時世時節ならば是非もないというような川柳式のあきらめが、遺伝的に彼の精神を訓練さしていたからである。身過ぎ世過ぎならば洋服も着よう。生れ落ちて・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・今まで見えたシャロットの岸に連なる柳も隠れる。柳の中を流るるシャロットの河も消える。河に沿うて往きつ来りつする人影は無論ささぬ。――梭の音ははたとやんで、女の瞼は黒き睫と共に微かに顫えた。「凶事か」と叫んで鏡の前に寄るとき、曇は一刷に晴れて・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・丁度葉裏に隠れる虫が、鳥の眼を晦ますために青くなると一般で、虫自身はたとい青くなろうとも赤くなろうとも、そんな事に頓着すべき所以がない。こう変色するのが当り前だと心得ているのは無論である。ただ不思議がるのは当の虫ではなくて、虫の研究者である・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・ 次いで、マリーナ・イワーノヴナ、最後にジェルテルスキーの長い脚が、左右、左右、階段の上に隠れるのを見届けると、下の小さい娘は自分達の部屋へかけ込み、息を殺して、「お婆ちゃん、三人、異人さん」と報告した。 ・・・ 宮本百合子 「街」
・・・風の少しもない日の癖で、霧が忽ち細い雨になって、今まで見えていた樅の木立がまた隠れる。谷川の音の太い鈍い調子を破って、どこかで清い鈴の音がする。牝牛の頸に懸けてある鈴であろう。 フランツは雨に濡れるのも知らずに、じいっと考えている。余り・・・ 森鴎外 「木精」
・・・それは表に現われた優しさの底に隠れる無限の力強さである。人間のあらゆる尊さ美しさは、間髪をいれず人間の肉体によって現わされ、直ちに逆に、人間の肉体を人間以上の神々しい清らかさにまで高めている。それは自然に即してしかも自然の奥秘を掘り出したも・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫