・・・明治時代の都人は寛永寺の焼跡なる上野公園を以て春花秋月四時の風光を賞する勝地となし、或時はここに外国の貴賓を迎えて之を接待し、又折ある毎に勧業博覧会及其他の集会をここに開催した。此の風習は伝えられて昭和の今日に及んでいる。公園は之がために年・・・ 永井荷風 「上野」
・・・今の新しい僕は、むしろ親しい友人との集会なども、進んで求めるようにさえ明るくなってる。来訪客と話すことも、昔のように苦しくなく、時に却って歓迎するほどでさえもある。ニイチェは読書を「休息」だと云ったが、今の僕にとって、交際はたしかに一つの「・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・朝野の貴顕紳士と称する俗輩が、何々の集会宴会と唱えて相会するは、果して実際の議事、真実の交際の為めに必要なるや否や。十中の八、九は事を議するが為めに会するに非ず、議事の名を利用して集るものなり。交際の為めに飲むに非ずして飲む為めに交わるもの・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・これを要するに、学問上の事は一切学者の集会たる学事会に任し、学校の監督報告等の事は文部省に任して、いわば学事と俗事と相互に分離し、また相互に依頼して、はじめて事の全面に美をいたすべきなり。 たとえば海陸軍においても、軍艦に乗りて海上に戦・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・現に今日にても士族の仲間が私に集会すれば、その会の席順は旧の禄高または身分に従うというも、他に席順を定むべき目安なければ止むを得ざることなれども、残夢の未だ醒覚せざる証拠なり。或は市中公会等の席にて旧套の門閥流を通用せしめざるは無論なれども・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・鬱散養生とあれば花見も宜し湯治も賛成なり、或は集会宴席の附合も自から利益なれども、其外出するや子供を家に残して夫婦の留守中、下女下男の預りにて、初生児は無理に牛乳に養わるゝと言う。恰も雇人に任せたる蚕の如し。其生育如何は自問して自答に難から・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 西洋諸国の上流紳士学者の集会に談笑自在なるも、果たして君らの如き醜語を放って憚らざるものあるか、我輩の未だ知らざる所なり。けだし文明の社会にはかつて聞かざる所の醜語にてありながら、君らが常にこれを語りて憚る所なきは、日本の事は外人の知・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ねがわくは先輩諸氏愚昧小生の如きをも清き諸氏の集会の中に諸氏の同朋として許したまえ。」 そして壇を下って頭を垂れて立ちました。 祭司次長がすぐ進んで握手しました。みんなは歓呼の声をあげ熱心に拍手してこの新らしい信者を迎えたのです。・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・という政治的キャバレーをひらいて、おなじ名の諷刺劇を上演したり、娯楽と宣伝とをかねた政治的集会を催し、演劇的才能と行動性とを溌剌と発揮して活動しはじめた。 ところが二月二十七日の夜、ドイツ国会放火事件がおこった。真の犯人はナチスであるが・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・この大会は、フランコのファシズム政権に反対してたたかっているスペインの共和政府の所在地バレンシアに第一日の集会をひらき、のちマドリッド、バルセロナと移って、十日間つづいた。 国際ペンクラブは第十三回大会をバルセロナに第十四回大会をブェノ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
出典:青空文庫