・・・……それにしても花田や青島の奴、どうしたんだ。瀬古 全くおそいね。計略を敵に見すかされてむざむざと討ち死にしたかな。いったい計略計略って花田の奴はなにをする気なんだろう。沢本 おい、ともちゃん……乗るんだ。君は俺たちのモデルじゃ・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・四万円とか、一万坪とか、青島とか、横須賀とかいう言葉が聞こえた時に私の頭にはどういうものかさっき見た総持寺の幻影がまた蘇って来た。 兵隊が二、三人鉄砲を持ってはいって来た。銃口にはめた真鍮の蓋のようなものを注意して見ているうちに、自分が・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ここから乗り込んだ青島守備隊の軍楽隊が艫の甲板で奏楽をやる。上のボートデッキでボーイと女船員が舞踊をやっていた。十三夜ぐらいかと思う月光の下に、黙って音も立てず、フワリフワリと空中に浮いてでもいるように。四月四日 日曜で早朝楽隊が賛・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ いつか海洋博物館での通俗講演会でペンクが青島の話をしたとき、かの地がいかに地の利に富むかということを力説し、ここを占有しているドイツは東洋の咽喉を扼しているようなものだという意味を婉曲に匂わせながら聴衆の中に交じっている日本留学生の自・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・ 青島は、なかなか有名だ。大抵の人が知っていた、是非行って見ろと云う。去年両親が旅行した時もわざわざ宮崎へ泊って見物した由、帰っての話題に相当大きい役割を持っていた。 私共はそもそも初めの予定では鹿児島の方へは廻らない積りだった。廻・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・日向で青島へ廻った日、鹿児島で一泊したその翌日、特に快晴で、私達は、世にも明るい日向、薩摩の風光を愛すことが出来た。五月九日という日づけにだまされ、二人とも袷の装であった。鹿児島市中では、樟の若葉の下を白絣の浴衣がけの老人が通るという夏景色・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・折を見て、連合国側にちょいと参加して、南洋の旧ドイツ領の委任統治地を稼いだし、青島に日本名で町名をつけることに成功したりした。人民の生命に責任を感じない彼等は近代戦争の惨劇というものを根柢から理解していなかった。三十年四十年と後れた平面的な・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫