・・・それが時を逆転した映画の世界では反対に、静止した振り子がだんだん揺れ出し次第に増幅するのである。もっと一般に言えば宇宙のエントロピーが次第に減少し、世界は平等から差別へ、涅槃から煩悩へとこの世は進展するのである。これは実に驚くべき大事件でな・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・前者は静止して鳴くらしいのに後者は多くの場合には飛びながら鳴くので、鳴き終わったころにはもう別の場所に飛んで行っている勘定である。雌が鳴き声をたよりにして、近寄るにははなはだ不便である。 この鳴き声の意味をいろいろ考えていたときにふと思・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・しかし、空間の中に静止する一点の位置を決定するだけでも三つの数字が必要である。百個の点の集団なら三百の数字が入用になる。物理的体系の「自由度」の増加とともにその状態を指定するに必要な尺度の読み取りの数もいくらでも増加する。近ごろよく「学問の・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・それよりもおもしろいのは一色の壁や布の面からありとあらゆる色彩を見つけ出したり、静止していると思った草の葉が動物のように動いているのに気がついたりするような事であった。そして絵をかいていない時でもこういう事に対して著しく敏感になって来るのに・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・あとで扉はパタンパタンと数回の振動をしなければすぐには静止の位置に落着かないのであった。 電車の中でも人はチューインガムを噛んでいた。そうして電車の床の上へ平気で唾を吐いていた。ヨーロッパでは見たことのない現象である。 ワシントンで・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・ あるいはまた、香気ないし臭気を含んだ空気が鳥に相対的に静止しているのでは有効な刺激として感ぜられないが、もしその空気が相対的に流動している場合には相当に強い刺激として感ぜられるというようなことがないとも限らない。 鳥の鼻に嗅覚はな・・・ 寺田寅彦 「とんびと油揚」
・・・それが、どうもだいたい同じ方向を向いて静止していることが多いような気がする。もしそうだとすると何がこの魚をこうさせるかが問題になる。 エンゼルフィッシの子が数尾同じ槽にいるのを見ていると、一尾が徐々に上昇し始めるとほとんど同時に他の仲間・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・スクリーンと自分の目とが静止しているとは思われなくて、スクリーンが猟者といっしょに進行するのを、絶えず目を横に動かして追跡しているとしか感じられない。おそらく実際眼球が周期的に動くのではないかと思われる。ところが音響の場合には、これに相当す・・・ 寺田寅彦 「耳と目」
・・・射的では的が三次元空間に静止しているが野球では的が動いているだけに事がらが複雑である。糊べらで飛んでいる蠅をはたき落とす芸術とこの点では共通である。 近ごろボルンが新しい統計的物理学の基礎を論じた中に、ウィルヘルム・テルがむすこの頭上の・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・そもそも日本の女の女らしい美点――歩行に不便なる長い絹の衣服と、薄暗い紙張りの家屋と、母音の多い緩慢な言語と、それら凡てに調和して動かすことの出来ない日本的女性の美は、動的ならずして静止的でなければならぬ。争ったり主張したりするのではなくて・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫