・・・尤も実際口へ入れて見たら、予期通り一杯やれるかどうか、その辺は頗る疑問である。多分はいくら香料をかけても、揉み上げにしみこんだ煙草の匂は羊肉の匂のようにぷんと来るであろう。いざ子ども利鎌とりもち宇野麻呂が揉み上げ草を刈りて馬飼へ・・・ 芥川竜之介 「格さんと食慾」
・・・の字に力を入れた、頗る特色のある言いかただった。僕は某君には会ったことは勿論、某君の作品も読んだことはない。しかし島木さんにこう言われると、忽ち下司らしい気がし出した。 それから又島木さんは後ろ向きに坐ったまま、ワイシャツの裾をまくり上・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・ 今椅子に掛けている貨物は、潜水器械というものを身に装った人間に似ていて、頗る人間離れのした恰好の物である。怪しく動かない物である。言わば内容のない外被である。ある気味の悪い程可笑しい、異様な、頭から足まで包まれた物である。 フレン・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・こんな有様で、昼夜を分たず、ろくろく寝ることもなければ、起きるというでもなく、我在りと自覚するに頗る朦朧の状態にあった。 ちょうどこの時分、父の訃に接して田舎に帰ったが、家計が困難で米塩の料は尽きる。ためにしばしば自殺の意を生じて、果て・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・と、それじゃあ、お勘が家に居る年明だろう、ありゃお前もう三十くらいだ。」「いいえ、若いんです。」 七兵衛天窓を掻いて、「困らせるの、年月も分らず、日も分らず、さっぱり見当が着かねえが、」と頗る弱ったらしかったが、はたと膝を打って・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・云うまでもない、それで世間一般から、茶の湯というものが、どういうことに思われて居るかと察するに、一は茶の湯というものは、貴族的のもので到底一般社会の遊事にはならぬというのと、一は茶事などというものは、頗る変哲なもの、殊更に形式的なもので、要・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・何の疚しい所のない僕は頗る不平で、「お母さん、そりゃ余り御無理です。人が何と云ったって、私等は何の訣もないのに、何か大変悪いことでもした様なお小言じゃありませんか。お母さんだっていつもそう云ってたじゃありませんか。民子とお前とは兄弟も同・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 椿岳の画の豪放洒脱にして伝統の画法を無視した偶像破壊は明治の初期の沈滞萎靡した画界の珍とする処だが、更にこの畸才を産んだ時代に遡って椿岳の一家及び環境を考うるのは明治の文化史上頗る興味がある。 加うるに椿岳の生涯は江戸の末李より明・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・考証家の極めて少ない、また考証の極めて幼稚な日本の学界は鴎外の巨腕に待つものが頗る多かった。鴎外が董督した改訂六国史の大成を見ないで逝ったのは鴎外の心残りでもあったろうし、また学術上の恨事でもあった。 鴎外が博物館総長の椅子に坐るや・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・勿論、これらの作と雖も或る特殊階級の人々には必要なものかも知れぬが、然し此等の作品が民衆的であるべき目的を度外視して、或る特殊な有産階級とか知識階級の為めにのみ作られるということは、頗る不合理だと思うのである。 トルストイの芸術はどんな・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
出典:青空文庫