・・・ヒステリイが益昂進すれば、ドッペルゲンゲルの出現もあるいはより頻繁になるかも知れません。そうすれば、妻の貞操に対する世間の疑は、更に甚しくなる事でございましょう。私はこのディレムマをどうして脱したらいいか、わかりません。 閣下、こう云う・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ 私が最も頻繁に訪問したのは花園町から太田の原の千駄木時代であった。イツデモ大抵夜るだった。随分十時過ぎから出掛けた事もあった。或る晩、大分夜が更けたらしく思ったので、丁度茶を持って来た少婢に向って、「何時になります?」と訊くと、少婢は・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 私は夏目さんとは十年以上の交際を続けたが、余り頻繁に往復しなかったせいでもあろうけれども、ただの一度も嫌な思いをさせられたことがない。なるほど、時としてはつむじ曲りだと世間に言われるような事もあったか知れない。千駄木にいられた頃だった・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・が、取留めた格別な咄もそれほどの用事もないのにどうしてこう頻繁に来るのか実は解らなかったが、一と月ばかり経ってから漸と用事が解った。その頃村山龍平の『国会新聞』てのがあって、幸田露伴と石橋忍月とが文芸部を担任していたが、仔細あって忍月が退社・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 尤も沼南は極めて多忙で、地方の有志者などが頻繁に出入していたから、我々閑人にユックリ坐り込まれるのは迷惑だったに違いない。かつ天下国家の大問題で充満する頭の中には我々閑人のノンキな空談を容れる余地はなかったろうが、応酬に巧みな政客の常・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 私が猿楽町に下宿していた頃は、直ぐ近所だったので互に頻繁に往来し、二葉亭はいつでも夕方から来ては十二時近くまで咄した。その頃私は毎晩夜更かしをして二時三時まで仕事をするので十二時近くなると釜揚饂飩を取るのが例となっていた。下宿屋の女中・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 深くなり、柳吉の通い方は散々頻繁になった。遠出もあったりして、やがて柳吉は金に困って来たと、蝶子にも分った。 父親が中風で寝付くとき忘れずに、銀行の通帳と実印を蒲団の下に隠したので、柳吉も手のつけようがなかった。所詮、自由になる金・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・という題の失恋小説を連載する事になって、その原稿発送やら、電報の打合せやらで、いっそう郵便局へ行く度数が頻繁になった。 れいの無筆の親と知合いになったのは、その郵便局のベンチに於いてである。 郵便局は、いつもなかなか混んでいる。私は・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・という事を、さいしょから、しきりに言っていたが、酔うにしたがって、いよいよ頻繁にそれが連発せられて来た。「お前も、しかし、東京では女でしくじったが」と大声で言って、にやりと笑い、「俺だって、実は、東京時代に、あぶないところまでいった事が・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・て地べたに寝たりなんかすると、純真だとか何だとか言ってほめられるもので、私も抜からず大酒をくらって、とにもかくにも地べたに寝て見せましたので、仲間からもほめられ、それがためにお金につまって質屋がよいが頻繁になりまして、印刷所のおかみさんと、・・・ 太宰治 「男女同権」
出典:青空文庫