・・・――じゃ頼むよ。――何? 医者に来て貰った?――それは神経衰弱に違いないさ。よろしい。さようなら。」 陳は受話器を元の位置に戻すと、なぜか顔を曇らせながら、肥った指に燐寸を摺って、啣えていた葉巻を吸い始めた。 ……煙草の煙、草花のに・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・「それじゃ帳場さん何分宜しゅう頼むがに、塩梅よう親方の方にもいうてな。広岡さん、それじゃ行くべえかの。何とまあ孩児の痛ましくさかぶぞい。じゃまあおやすみ」 彼れは器用に小腰をかがめて古い手提鞄と帽子とを取上げた。裾をからげて砲兵の古・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・私は我慢をするけれどね、お浜が可哀そうだから、号外屋でも何んでもいい、他の商売にしておくれって、三ちゃん、お前に頼むんだよ。内の人が心配をすると悪いから、お前決して、何んにもいうんじゃないよ、可いかい、解ったの、三ちゃん。」 と因果を含・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・わしが頼むからこれからそんな事はいわないでくろ」「はア」 満蔵はもう恐れ入ってしまって、申しわけも出ない。正直な満蔵は真から飛んだ事を言ってしまったとの後悔が、隠れなく顔にあらわれる。満蔵が正直あふれた無言の謝罪には、母もその上しか・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・役者になりたいからよろしく頼むなんどと白ばッくれて、一方じゃア、どん百姓か、肥取りかも知れねいへッぽこ旦つくと乳くり合っていやアがる」「そりゃア、あんまり可哀そうだ、わ。あの人がいなけりゃア、東京へ帰れないじゃアないか、ね」「どうし・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ その頃は医術も衛生思想も幼稚であったから、疱瘡や痲疹は人力の及び難ない疫神の仕業として、神仏に頼むより外に手当の施こしようがないように恐れていた。それ故に医薬よりは迷信を頼ったので、赤い木兎と赤い達磨と軽焼とは唯一無二の神剤であった。・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・貧乏で、医者にかけるどころか、あたたかなおいしいものをたべさせることもできません。頼むところはなし、どうすることもできなく、猟師は自分のだいじな鉄砲を売ろうと決心しました。なぜならほかに、売るような金目の品物は、なんにもなかったからです。・・・ 小川未明 「猟師と薬屋の話」
・・・と言いながら、手を叩いて女中を呼び、「おい姐さん、銚子の代りを……熱く頼むよ。それから間鴨をもう二人前、雑物を交ぜてね」 で、間もなくお誂えが来る。男は徳利を取り揚げて、「さあ、熱いのが来たから、一つ注ごう」 女も今度は素直に盃を受・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ と言い、そして家へ帰って、お君によくいいきかせ、なお監視してくれと頼む安二郎を、豹一は、ざまあ見ろと思った。けれども、そんな安二郎を見るにつけ、××楼の妓に嫉妬した自分の姿を想い知らされてみると、この男も人間らしくなったと、何か安二郎・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 彼は起って行って、頼むように云った。「別にお話を聴く必要も無いが……」と三百はプンとした顔して呟きながら、渋々に入って来た。四十二三の色白の小肥りの男で、紳士らしい服装している。併し斯うした商売の人間に特有――かのような、陰険な、・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫