・・・僕は悪口を云われた蛇笏に甚だ頼もしい感じを抱いた。それは一つには僕自身も傲慢に安んじている所から、同類の思いをなしたのかも知れない。けれどもまだその外にも僕はいろいろの原因から、どうも俳人と云うものは案外世渡りの術に長じた奸物らしい気がして・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・と同時に見慣れた寝室は、月明りに交った薄暗がりを払って、頼もしい現実へ飛び移った。寝台、西洋せいようがや、洗面台、――今はすべてが昼のような光の中に、嬉しいほどはっきり浮き上っている。その上それが何一つ、彼女が陳と結婚した一年以前と変ってい・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・あの男はとにかく巧言は云わぬ、頼もしいやつだと思っている。 こう云う治修は今度のことも、自身こう云う三右衛門に仔細を尋ねて見るよりほかに近途はないと信じていた。 仰せを蒙った三右衛門は恐る恐る御前へ伺候した。しかし悪びれた気色などは・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・昔よりも一層丈夫そうな、頼もしい御姿だったのです。それが静かな潮風に、法衣の裾を吹かせながら、浪打際を独り御出でになる、――見れば御手には何と云うのか、笹の枝に貫いた、小さい魚を下げていらっしゃいました。「僧都の御房! よく御無事でいら・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ 頼もしいほど、陽気に賑かなのは、廂はずれに欄干の見える、崖の上の張出しの座敷で、客も大勢らしい、四五人の、芸妓の、いろいろな声に、客のがまじって、唄う、弾く、踊っていた。 船の舳の出たように、もう一座敷重って、そこにも三味線の音が・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・満蔵なんか眼中にないところなどはすこぶる頼もしい。省作にからかわれるのがどうやらうれしいようにも見えるけれど、さあ仕事となれば一生懸命に省作を負かそうとするなどははなはだ無邪気でよい。 清さんと清さんのお袋といっしょにおとよさんは少しあ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・絶句する処が頼もしいので、この塩梅ではマダ実業家の脈がある、」と呵然として笑った。 汽車の時間を計って出たにかかわらず、月に浮かれて余りブラブラしていたので、停車場でベルが鳴った。周章てて急坂を駈下りて転がるように停車場に飛込みざま切符・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・むしろ編輯者の中には私より髪の毛を長くしている頼もしい仁もあった。今や誰に遠慮もなく髪の毛を伸ばせる時が来たわけだと、私はこの自由を天に感謝した。 ところが、間もなく変なことになった。既に事変下で、新体制運動が行われていたある日の新聞を・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ 蝶子は柳吉をしっかりした頼もしい男だと思い、そのように言い触らしたが、そのため、その仲は彼女の方からのぼせて行ったといわれてもかえす言葉はないはずだと、人々は取沙汰した。酔い癖の浄瑠璃のサワリで泣声をうなる、そのときの柳吉の顔を、人々・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・そしてお秀は何とも云い難い、嬉しいような、哀れなような、頼もしいような心持がした。 兎も角も明後日からお秀は局に出ることに話を極めてお富に約束したものの、忽ち衣類の事に思い当って当惑した。若い女ばかり集まる処だからお秀の性質でもまさかに・・・ 国木田独歩 「二少女」
出典:青空文庫