・・・出て見るとまだ若い学生のような人であるが、無帽の着流しで、どこかの書生さんといった風体である。玄関で立ったまま来意を聞くとさげていた小さなふろしき包みを解いて中からだいぶよごれた帳面を出した。それになんでもいいから俳句を書いてもらいたいとい・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・男は洋服を着た魚屋さんとでもいった風体であり、女はその近所の八百屋のおかみさんとでも思われる人がらであった。しかるに二人の話し合っている姿態から顔の表情に至っては全く日本人離れがしている。周囲のおおぜいの乗客はたった今墓場から出て来たような・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・また、たくでは近頃景気がいいんですのよ、という風体だった細君連も、ちがった姿となっている。 そして、これらの変化にはやはり贅沢禁止のいろいろな運動が役にたっているにちがいないのだろう。街のプラタナスの今年の落葉は、「簡素のなかの美しさ」・・・ 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
・・・ 窓ガラスが壊れて寒いので、窓の方の側へずらして帽子をかぶり、外套片袖ひっかけて浮浪児みたいな風体で坐ってる。 二人で代り番こに本の目録を作るためタイプライターをうった。 十月三十一日。 雪の上にまつのきがある。黒く強い・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・ 婆さんは、偶然の隣人である私の風体を暫く観察していたが、いきなり云った。「源坊、あぶないよ」 女は、遠い改札口の方をぼんやり眺めたなり鸚鵡返しに、「あぶないよ本当に」と、傍に立って車窓を見上げている六ツばかりの男の児の・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・そして、消防の方に何だか合図し、穏かに、楽しそうな風体で、「おらも助けてやるぞ、なあ勇吉どん」と、ふすまをはずして持ち出し、土間のワラをかき集めては火をつけた。――このような見ものを村人は、村始まって見たことはなかった。何という面白・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・ しかし実際に、どんな場合でも、ブルジョアジーはそんなきまりきった風体しかしていないだろうか? どうして! 彼等は自身の利益を守る必要に応じて、技師にもなれば、教師にもなり、ソヴェト同盟では、現に階級の闘士ボルシェヴィキらしい見せかけを・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・様々の風体、様々の顔つきと感情をもった男も女も、彼等は何かの実際的な繋りをこの活々として新らしいモスクワの建設にもって、忙しげに靴の爪先を運んでいる。こうやって彼等と同じテムポで同じ鋪道を歩いている自分が、この社会の生活の意味と値うちをこん・・・ 宮本百合子 「坂」
・・・ 乃木大将の程度のものでさえ、田舎おやじの風体で微行して、その土地の関係者が彼を発見したときの恐縮や一変した待遇をエンジョイしたことは有名である。きょうの宮さまとよばれる有閑な中年の男性たちが、あたりまえの一市民のようであって決してそう・・・ 宮本百合子 「ジャーナリズムの航路」
・・・堪らず私を笑わせたのは、そんな悪漢まがいの風体をしながら、肩つきにしろ、体つきにしろまるでふわふわで、子供っぽくて――謂わば小さな子が大人の帽子でもかぶったようなところのあることだ。 真似が上手ければ上手いほど可笑しい。自然に溢れる滑稽・・・ 宮本百合子 「茶色っぽい町」
出典:青空文庫