・・・上から新撰に飛付く、と突のめったようになって見た。黒表紙には綾があって、艶があって、真黒な胡蝶の天鵝絨の羽のように美しく……一枚開くと、きらきらと字が光って、細流のように動いて、何がなしに、言いようのない強い薫が芬として、目と口に浸込んで、・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・丁度一週間ほど訪いも訪われもしないで或る夕方偶と尋ねると、いつでも定って飛付く犬がいないので、どうした犬はと訊くと、潮垂れ返った元気のない声で、「逃げたのか、取られたのか、いなくなってしまった」と、見えなくなった顛末を語って吻と嘆息を吐いた・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・病人は飛び付くようにして水でそれを呑み下しました。然し最早や苦痛は少しも楽に成りません。病人は「如何したら良いんでしょう」と私に相談です。私は暫く考えていましたが、願わくば臨終正念を持たしてやりたいと思いまして「もうお前の息苦しさを助ける手・・・ 梶井久 「臨終まで」
出典:青空文庫