・・・人間は金のある所へ寄るが鳥獣の分布はやはり「すぐに取って食える食物」の分布できまるものらしい。 星野に小さな水力発電所がある。六十五キロだそうである。これくらいのかわいいのだといわゆる機械的バーバリズムの面影はなくて、周囲の自然となれ合・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・ その後偶然にたいへんに親切で上手でぐあいのいい歯医者が見つかってそれからはずっとその人にやっかいになって来たが、先天的の悪い素質と後天的不養生との総決算で次第にかんで食えるものの範囲が狭くなって来た。柔らかい牛肉も魚のさし身もろくにか・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・上陸後半日もすると、われわれ一行の鼻の神経は悪臭に対して無感覚となって、うまく飯が食えるようになった。 千歳という岬端の村で半日くらい観測した時は、土地の豪家で昼食を食わしてもらった。生来見たことのない不気味な怪物のなますを御馳走になっ・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・よくあいつは遊んでいて憎らしいとかまたはごろごろしていて羨ましいとか金持の評判をするようですが、そもそも人間は遊んでいて食える訳のものではない。遊んでいるように見えるのは懐にある金が働いてくれているからのことで、その金というものは人のために・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・忙がしくなく時間づくめでなくて飯が食えるという事について非常に考えました。しかし立派な技術を持ってさえいれば、変人でも頑固でも人が頼むだろうと思いました。佐々木東洋という医者があります。この医者が大へんな変人で、患者をまるで玩具か人形のよう・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・しかし、味はなかなかよくサシミにしても食える。北原白秋の故郷柳川は水郷である。その縦横のクリークにはドンコがたくさんいるので、私はよく柳川でドンコ釣りをしたが、緒方一三さんというドンコ通がいて、ドンコの頬ペタのフクラミの肉は、どんな魚の味よ・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・柿は非常に甘いのと、汁はないけれど林檎のようには乾いて居らぬので、厭かずに食える。しかしだんだん気候が寒くなって後にくうと、すぐに腹を傷めるので、前年も胃痙をやって懲り懲りした事がある。梨も同し事で冬の梨は旨いけれど、ひやりと腹に染み込むの・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ これ以上、どうして芋が食える。朝食うて、昼食うて晩食うて……。お前に食わさんのが慈悲じゃと思え」という兄について彼は部落を歩きまわり、ことごとに部落の荒廃を目撃する。盆の十四日が百姓平次郎に鉈をふるわせる厄日であり、室三次の命の綱である馬・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・外から来たものでも四十カペイキでスープと肉・野菜が食える。 からりと開けはなされた大きい窓から、初夏の木立と花壇で三色菫が咲いているのが見えた。天井も壁も白い。涼しい風がとおる。――日本女は、婦人講習会員の間にかけて、黒パンをたべている・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・ ヨーロッパ人の云うところの soyuや食える木の端を米とともにいさぎよく――海峡の彼方へ置いて来た。 自分もこうして遂に些かながら、味覚郷愁を洩すことになった。 それにしてもラフカデオ・ハーンは、彼の幾多の随筆力のどこかに美味・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
出典:青空文庫