・・・―― 磯浜へ上って来て、巌の根松の日蔭に集り、ビイル、煎餅の飲食するのは、羨しくも何ともないでしゅ。娘の白い頤の少しばかり動くのを、甘味そうに、屏風巌に附着いて見ているうちに、運転手の奴が、その巌の端へ来て立って、沖を眺めて、腰に手をつ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・外に姉さんも何も居ない、盛の頃は本家から、女中料理人を引率して新宿停車場前の池田屋という飲食店が夫婦づれ乗込むので、独身の便ないお幾婆さんは、その縁続きのものとか、留守番を兼ねて後生のほどを行い澄すという趣。 判事に浮世ばなしを促された・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・へいもう遅うござりますで、飲食店は寝ましたでな……飲食店だと言やあがる。はてな、停車場から、震えながら俥でくる途中、ついこの近まわりに、冷たい音して、川が流れて、橋がかかって、両側に遊廓らしい家が並んで、茶めしの赤い行燈もふわりと目の前にち・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 私は食物には割合に無頓着であって、何処でも腹が空けばその近所の飲食店で間に合わして置く方であるが、二葉亭はなかなか爾う行かなかった。いつでも散歩すると意見の衝突を来すは必ず食事であって、その度毎に「食物では話せない」といった。電車の便・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・千日前の歌舞伎座の横丁――昔中村鴈治郎が芝居への通い路にしていたとかで鴈治郎横丁と呼ばれている路地も、以前より家数が多くなったくらいバラックが建って、食傷路地らしく軒並みに飲食店だ。などという話を見聴きすれば、やはりなつかしいが、しかし、・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・三人も並んで歩けないほどの細い路地の両側は、殆んど軒並みに飲食店だ。「めをとぜんざい」はそれらの飲食店のなかで、最も有名である。道頓堀からの路地と、千日前――難波新地の路地の角に当る角店である。店の入口にガラス張りの陳列窓があり、そこに・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ 戎橋の停留所から難波までの通りは、両側に闇商人が並び、屋号に馴染みのないバラックの飲食店が建ち、いつの間にか闇市場になっていた。雑閙に押されて標札屋の前まで来た時、私はあっと思った。標札屋の片店を借りていた筈の「波屋」はもうなくなって・・・ 織田作之助 「神経」
・・・ある時には自分が現在、広大な農園、立派な邸宅、豊富な才能、飲食物等の所有者であるような幻しに浮かされたが、また神とか愛とか信仰とかいうようなことも努めて考えてみたが、いずれは同じく自分に反ってくる絶望苛責の笞であった。そして疲れはてては咽喉・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・そんな連中が、飲食店に内地米の稲荷ずしでも売っているのを見つけようものなら、忽ち売切れとなってしまうのである。 そこで宿屋や、飲食店の商売繁栄策としても内地米が目標となる。 こんなのは、昨年の旱魃にいためつけられた地方だけかと思って・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・実際大噐晩成先生の在学態度は、その同窓間の無邪気な、言い換れば低級でかつ無意味な飲食の交際や、活溌な、言い換れば青年的勇気の漏洩に過ぎぬ運動遊戯の交際に外れることを除けば、何人にも非難さるべきところのない立派なものであった。で、自然と同窓生・・・ 幸田露伴 「観画談」
出典:青空文庫