・・・ 女は上機嫌になると、とかくに下らない不必要なことを饒舌り出して、それが自分の才能ででもあるような顔をするものだが、この細君は夫の厳しい教育を受けてか、その性分からか、幸にそういうことは無い人であった。純粋な感謝の念の籠ったおじぎを一つ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・「ヤ、こりゃあ詰らないことをうっかり饒舌った。ハハハハハ。」と紛らしかけたが、ふと目を挙げて妻の方を見れば妻は無言で我が面をじっと護っていた。主人もそれを見て無言になってしばしは何か考えたが、やがて快活な調子になって、「ハハハハ・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
誰でもそうだが、田口もあすこから出てくると、まるで人が変ったのかと思う程、饒舌になっていた。八カ月もの間、壁と壁と壁と壁との間に――つまり小ッちゃい独房の一間に、たった一人ッ切りでいたのだから、自分で自分の声をきけるのは、・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・しかしその野蛮な戯れは都会の退屈な饒舌にも勝って彼を悦ばせた。彼はしばらくこの地方に足を留め、心易い先生方の中で働いて、もっともっと素朴な百姓の生活をよく知りたいと言った。谷の向うの谷、山の向うの山に彼の心は馳せた。 それから二年ば・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・さっきにからわたしにばかり饒舌らしていて、一言も言ってくれないのね。そんなにして坐っていて、わたしの顔を見ているその目付で、わたしの考えの糸を、丁度繭から絹糸を引き出すように手繰出すのだわ。その手繰出されたわたしの考えは疑い深い考えかも知れ・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・なお、秋田さんの話は深沼家から聞きましたが、貴下にこの手紙書いたことが知れて、いらぬ饒舌したように思われては心外であるのみならず、秋田さんに対しても一寸責任を感じますので、貴下だけの御含みにして置いて頂きたいと思います。然し私は話の次手にお・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 私は彼の饒舌をうつつに聞いていた。私は別なものを見つめていたのである。燃えるような四つの眼を。青く澄んだ人間の子供の眼を。先刻よりこの二人の子供は、島の外廓に築かれた胡麻石の塀からやっと顔だけを覗きこませ、むさぼるように島を眺めまわし・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・では比較的むだな饒舌が少ないようであるが、ひとり旅に出た子供のあとを追い駆ける男が、途中で子供の歩幅とおとなのそれとの比較をして、その目の子勘定の結果から自分の行き過ぎに気がついて引き返すという場面がある。「子供の足でこれだけ、おとなの足で・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ 三声五声抱えの芸名なんかを呼んでいたかと思うと、だんだん訳がわからなくなって、調子に乗ってぎゃあぎゃあ空虚な声で饒舌りつづけていた。「またやっているな」道太は下の座敷の庭先きのところに胡坐を組んで、幾種類となくもっているおひろの智・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・田崎が何か頻りに饒舌り立てて居る。毎朝近所から通って来る車夫喜助の声もする。私は乳母が衣服を着換えさせようとするのも聞かず、人々の声する方に馳け付けたが、上框に懐手して後向きに立って居られる母親の姿を見ると、私は何がなしに悲しい、嬉しい気が・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫