・・・「私は、町の香水製造場にやとわれています。毎日、毎日、白ばらの花からとった香水をびんにつめています。そして、夜、おそく家に帰ります。今夜も働いて、ひとりぶらぶら月がいいので歩いてきますと、石につまずいて、指をこんなにきずつけてしまいまし・・・ 小川未明 「月夜とめがね」
・・・洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっ・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・花から取った香水や、肌色のスメツ白粉や、小指のさきほどの大きさが六ルーブルに価する紅は、集団農場の組織や、労働者の学校や、突撃隊の活動などとは、およそ相反するものだ。それをわざわざ持ちこんで行くのは意味がなければならなかった。社会主義的社会・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・そう云って、園子はそっと香水をにじませた手巾を鼻さきにあて、再び二階へ上った。きっちり障子を閉める音がした。「お前はむさんこに肥を振りかけるせに、あれは嫌うとるようじゃないかいの。」ばあさんは囁いた。「そうけえ。」「また、何ぞ笑・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・あの銀座の有名な化粧品店の、蔓バラ模様の商標は、あの人が考案したもので、それだけでは無く、あの化粧品店から売り出されている香水、石鹸、おしろいなどのレッテル意匠、それから新聞の広告も、ほとんど、あの人の図案だったのでございます。十年もまえか・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・ラプンツェルは香水の風呂にいれられ、美しい軽いドレスを着せられ、それから、全身が埋ってしまうほど厚く、ふんわりした蒲団に寝かされ、寝息も立てぬくらいの深い眠りに落ちました。ずいぶん永いこと眠り、やがて熟し切った無花果が自然にぽたりと枝から離・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・えならぬ香水のかおりがする。温かい肉の触感が言うに言われぬ思いをそそる。ことに、女の髪の匂いというものは、一種のはげしい望みを男に起こさせるもので、それがなんとも名状せられぬ愉快をかれに与えるのであった。 市谷、牛込、飯田町と早く過ぎた・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・煙草の味もやはり甘ったるい、しつっこい、安香水のような香のするものであったような気がする。 今の朝日敷島の先祖と思われる天狗煙草の栄えたのは日清戦争以後ではなかったかと思う。赤天狗青天狗銀天狗金天狗という順序で煙草の品位が上がって行った・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・一びん百円の香水でもとにかく売れて行くのである。一方ではまた、嗅覚と性生活との関係を研究している学者もあるくらいである。 嗅覚につながる記憶ほど不思議なものはないように思う。たとえば夏の夕に町を歩いていて、ある、ものの酸敗したような特殊・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・こういうふうに考えてみると、書物という商品は、岐阜提灯や絹ハンケチや香水や白粉のようなものと同じ部類に属する商品であるように思われて来るのである。 毎朝起きて顔を洗ってから新聞を見る。まず第一ページにおいてわれわれの目に大きく写るものが・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
出典:青空文庫