・・・と云って何か男の方に、やむを得ない事情が起ったとしても、それも知らさずに別れるには、彼等二人の間柄は、余りに深い馴染みだった。では男の身の上に、不慮の大変でも襲って来たのか、――お蓮はこう想像するのが、恐しくもあれば望ましくもあった。………・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・武官に馴染みの薄い彼はこの人の名前を知らなかった。いや、名前ばかりではない。少尉級か中尉級かも知らなかった。ただ彼の知っているのは月々の給金を貰う時に、この人の手を経ると云うことだけだった。もう一人は全然知らなかった。二人は麦酒の代りをする・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・「ええ、お上さんのことはそんなによく知りませんが、でも寄席へなぞ金さんと一緒に来てなすって、あれがお光さんという清元の上手な娘だって、友達から聞いたことはありますんで……金さんも何でしょう、昔馴染みてえので、今でもお上さんが他人のように・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・文子はそのころもう宗右衛門町の芸者で、そんな稼業とそして踊りに浮かれた気分が、幼な馴染みの私に声を掛けさせたといえましょうが、しかし、私は嬉しかった。と同時に、十年前会った丁稚姿、そして今夜は夜店出し、あたりの賑いにくらべていかにもしょんぼ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 戎橋の停留所から難波までの通りは、両側に闇商人が並び、屋号に馴染みのないバラックの飲食店が建ち、いつの間にか闇市場になっていた。雑閙に押されて標札屋の前まで来た時、私はあっと思った。標札屋の片店を借りていた筈の「波屋」はもうなくなって・・・ 織田作之助 「神経」
・・・二 早くから両親を失い家をなくしてしまった私は、親戚の家を居候して歩いたり下宿やアパートを転々と変えたりして来たためか、天涯孤独の身が放浪に馴染み易く、毎夜の大阪の盛り場歩きもふと放浪者じみていたので、自然心斎橋筋や道頓堀界・・・ 織田作之助 「世相」
・・・――それでも、たった一人、馴染みの安化粧品問屋の息子には何もかも本当のことを言った。 維康柳吉といい、女房もあり、ことし四つの子供もある三十一歳の男だったが、逢い初めて三月でもうそんな仲になり、評判立って、一本になった時の旦那をしくじっ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・総領の新太郎は放蕩者で、家の職は手伝わず、十五の歳から遊び廻ったが、二十一の時兵隊にとられて二年後に帰って来ると、すぐ家の金を持ち出して、浅草の十二階下の矢場の女で古い馴染みだったのと横浜へ逃げ、世帯を持った翌月にはもう実家へ無心に来た。父・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・五十円を故郷の姉から、これが最後だと言って、やっと送って戴き、私は学生鞄に着更の浴衣やらシャツやらを詰め込み、それを持ってふらと、下宿を立ち出で、そのまま汽車に乗りこめばよかったものを、方角を間違え、馴染みのおでんやにとびこみました。其処に・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・「お馴染みですから」「誰だ。誰が来たんだ」と、西宮は小万の顔を真面目に見つめた。「おほほ――、妬けるんだよ」と、吉里は笑い出した。「ははははは。どうだい、僕の薬鑵から蒸気が発ッてやアしないか」「ああ、発ッてますよ。口惜し・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫