・・・「あれは、はあ、駅長様の許へ行くだかな。昨日も一尾上りました。その鱒は停車場前の小河屋で買ったでがすよ。」「料理屋かね。」「旅籠屋だ。新築でがしてな、まんずこの辺では彼店だね。まだ、旦那、昨日はその上に、はい鯉を一尾買入れたでな・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・が、いずれにも、しかも、中にも恐縮をしましたのは、汽車の厄に逢った一人として、駅員、殊に駅長さんの御立会になった事でありました。大正十年四月 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・下の男の子には、粉ミルクをといてやっていたのですが、ミルクをとくにはお湯でないと具合がわるいので、それはどこか駅に途中下車した時、駅長にでもわけを話してお湯をもらって乳をこしらえるという事にして、汽車の中では、やわらかい蒸しパンを少しずつ与・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・ 家人がお隣りへ行って来ての話に、お隣りの御主人は名古屋のほうの私設鉄道の駅長で、月にいちど家へかえるだけである。そうして、あとは奥さまとことし十六になる娘さんとふたりきりで、夾竹桃のことは、かえって恐縮であって、どれでもお気に召したも・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・ 停留場の駅長が赤い回数切符を切って返した。この駅長もその他の駅夫も皆この大男に熟している。せっかちで、あわて者で、早口であるということをも知っている。 板囲いの待合所に入ろうとして、男はまたその前に兼ねて見知り越しの女学生の立って・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・同じようにこの呼吸のうまい他の一例は、停車場の駅長かなんかの顔の大写しがちょっと現われる場面である。実になんでもないことだが、あすこの前後の時間関係に説明し難い妙味がある。 女中が迎えに来て荷馬車で帰る途中で、よその家庭の幸福そうな人々・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・そこら中を見ても、駅長や赤帽らしい人の、影もなかったのです。 二人は、停車場の前の、水晶細工のように見える銀杏の木に囲まれた、小さな広場に出ました。そこから幅の広いみちが、まっすぐに銀河の青光の中へ通っていました。 さきに降りた人た・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・赤い帽子をかぶった駅長が一人ぼっち出て来て、郵便車から雪の上へ投げた小包を拾い上げた。その小包には切手が沢山はってあった。 十月二十九日。 昨夜スウェルドロフスキー時間の午前一時頃ノヴォシビリスクへ。モスクワでウラジヴォストクま・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・バラックの駅長事務所で、小雨に打たれて列に立ちながら、連絡について、いくらかでも具体的なことを知りたいと思ったら、若い駅員は、最後に「どことも電話が通じないんだから分らんよ」と答えた。それは、答えというよりも、寧ろ、これでもまだ訊くか、と居・・・ 宮本百合子 「みのりを豊かに」
出典:青空文庫