・・・ 非常に砂壁の落ちる棚の上だの部屋の周囲にはトランクから出した許りで入れるものもない沢山の本が只じかに並べてあって、鳶色をした薄い同じ本が沢山荒繩にくくられてころがって在ったりした。 その鳶色の本を今見れば彼が非常に苦心して出版した・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・経営主任の責任ある位置にいるひとはやっと三十そこそこで、その辺にいる誰彼と一向違わない鳶色のルバーシカを着、元気に仕事をやっている。鞄を小脇に抱えた連中が盛に出入りする、青い技師の制帽をかぶったのも来る。主任は日本の女がモスクワから遠い炭坑・・・ 宮本百合子 「ドン・バス炭坑区の「労働宮」」
・・・などと云う母親の顔へ無理でも自分の顔を押しあて様とする事がありますと、彼はもう此上ない憤りに胸を掻き乱されながら鳶色の愛情でこり固まった様な拳を作って拳闘をする様な構えで非常に「無法な姉」に掛って来ました。 年上の者達が一言でも母の悪る・・・ 宮本百合子 「二月七日」
・・・ 冬の日差しの悲しまれける 着ぶくれて見にくき姿うつしみて わびしき思ひ鏡の面 今の心語りつたへんとももがなと 空しき宙に姿絵をかく ステンドクラッスの紫よ緋よ、鳶色よ 病なき国抱けるが如・・・ 宮本百合子 「日記」
・・・持物は鳶色ごろふくの懐中物、鼠木綿の鼻紙袋、十手早縄である。文吉も取って置いた花色の単物に御納戸小倉の帯を締めて、十手早縄を懐中した。 木賃宿の主人には礼金を遣り、摂津国屋へは挨拶に立ち寄って、九郎右衛門主従は六月二十八日の夜船で、伏見・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・大きな鳶色の瞳を囲んでいる白い所がすっかりと見えるほどだ。時々身ぶりをするけれども決して相手に触れたり、腕に手を置いたりなどはしない。深刻な眼は相手の人の額の後ろに隠れている思想を見徹しているようだ。肉体と肉体とがいかに接近してもそれは彼女・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫