・・・年代にすると、黒船が浦賀の港を擾がせた嘉永の末年にでも当りますか――その母親の弟になる、茂作と云う八ツばかりの男の子が、重い痲疹に罹りました。稲見の母親はお栄と云って、二三年前の疫病に父母共世を去って以来、この茂作と姉弟二人、もう七十を越し・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・二 江戸名物軽焼――軽焼と疱瘡痲疹 軽焼という名は今では殆んど忘られている。軽焼の後身の風船霰でさえこの頃は忘られてるので、場末の駄菓子屋にだって滅多に軽焼を見掛けない。が、昔は江戸の名物の一つとして頗る賞翫されたものだ。・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・お辰は柳吉の方を向いて、蝶子は痲疹厄の他には風邪一つひかしたことはない、また身体のどこ探してもかすり傷一つないはず、それまでに育てる苦労は……言い出して泪の一つも出る始末に、柳吉は耳の痛い気がした。 二三日、狭苦しい種吉の家でごろご・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・二女は麻疹も出たらしかった。彼女は八つになるのだが、私はその時分も冬の寒空を当もなく都会を彷徨していた時代だったが、発表する当のない「雪おんな」という短篇を書いた時ちょうど郷里で彼女が生れたので、私は雪子と名をつけてやった娘だった。私にはず・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
出典:青空文庫