・・・僕自身もこんなことは一度言っておけばいいことで、こんなことが議論になって反覆応酬されては、すなわち単なる議論としての議論になっては、問題が問題だけに、鼻持ちのならないものになると思っている。しかし兄に僕の近況を報ずるとなると、まずこんなこと・・・ 有島武郎 「片信」
・・・それは、君たちは今俺を撲っていい気になっているだろうが、しかし俺は少なくとも君たちよりは一寸有名な男なんだぞという、鼻持ちならぬ考えであった。 点呼がすむと、私はあわてて髪を伸ばしに掛った。やがて私の髪の毛が元通りになったある日、私は町・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ 私は、鼻持ちならぬ美文の大家です。文章倶楽部の愛読者通信欄に投書している文学少女を笑えません。いや、もっと悪い。私は先日の手紙に於いて、自分の事を四十ちかい、四十ちかいと何度も言って、もはや初老のやや落ち附いた生活人のように形容していた筈・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・少年の相変らずの思わせぶりが、次第に鼻持ちならなく感ぜられて来たのである。「君は跛でもないじゃないか。それに、人間は、水の中にばかり居られるものじゃない。」自分で言いながら、ぞっとした程狂暴な、味気ない言葉であった。毒を以て毒を制するのだ。・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・趣味でキリストごっこなんかに、ふけっていやがって、鼻持ちならない深刻ぶった臭い言葉ばかり並べて、そうして本当は、ただちょっと気取ったエゴイストじゃないか。」などと言われる事の恥ずかしさに、私は、どんなに切迫した自分の仕事があっても、立って学・・・ 太宰治 「新郎」
・・・まかり間違うと、鼻持ちならぬキザな虚栄の詠歎に似るおそれもあり、または、呆れるばかりに図々しい面の皮千枚張りの詭弁、または、淫祠邪教のお筆先、または、ほら吹き山師の救国政治談にさえ堕する危険無しとしない。 それらの不潔な虱と、私の胸の奥・・・ 太宰治 「父」
・・・熱いところを、といかにも鼻持ちならぬ謂わば粋人の口調を、真似たつもりで澄ましていた。やがてその、熱いところを我慢して飲み、かねて習い覚えて置いた伝法の語彙を、廻らぬ舌に鞭打って余すところなく展開し、何を言っていやがるんでえ、と言い終った時に・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・私は人がよく後指さして厭がる醜い傴僂や疥癬掻や、その手の真黒な事から足や身体中はさぞかしと推量されるように諸有る汚い人間、または面と向うと蒜や汗の鼻持ちならぬ悪臭を吹きかける人たちの事を想像するし、不具者や伝染病や病人の寝汗や、人間の身体の・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫