・・・突然烈しい叱咤の声は、湧き返っている笑の上へ、鞭を加えるように響き渡った。「何だ、その醜態は? 幕を引け! 幕を!」 声の主は将軍だった。将軍は太い軍刀のつかに、手袋の両手を重ねたまま、厳然と舞台を睨んで居た。 幕引きの少尉は命・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・村長は驚いて誰が叱咤られるのかとそのまま足を停めて聞耳を聳てていると、内から老僕倉蔵がそっと出て来た。「オイ倉蔵、誰だな今怒鳴られているのは?」村長は私語いた。倉蔵は手を以てこれを止めて、村長の耳の傍に口をつけて、「お嬢様が叱咤られ・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 神明を叱咤するの権威には、驚嘆せざるを得ぬではないか。 急を聞いて馳せつけた四条金吾が日蓮の馬にとりついて泣くのを見て、彼はこれを励まして、「この数年が間願いし事是なり。此の娑婆世界にして雉となりし時は鷹につかまれ、鼠となりし時は・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 将校は、叱咤した。 穴の底で半殺しにされた蛇のように手足をばた/\動かしている老人の上へ、土がなだれ落ちて行きだした。「たすけ……」老人は、あがき唸った。 土は、老人の憐憫を求める叫声には無関心になだれ落ちた。 兵卒は・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 中隊の兵舎から、準備に緊張したあわただしい叫びや、叱咤する声がひびいて来た。「おい、もう帰ろうぜ。」安部が繰かえした。「どうせ行かなきゃならんのだ。」 空気が動いた。そして脂肪や、焦げパンや、腐った漬物の悪臭が、また新しく皆の・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・ 今度は自分の不覚を自分で叱る意で毒喝したのである。余程肚の中がむしゃくしゃして居て、悪気が噴出したがっていたのであろう。 叱咤したとて雪は脱れはしない、益々固くなって歯の間に居しこるばかりだった。そこで、ふと見ると小溝の上に小さな・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・弟妹たちを呼び集めて、そのところを指摘し、大声叱咤、説明に努力したが、徒労であった。弟妹たちは、どうだか、と首をかしげて、にやにや笑っているだけで、一向に興奮の色を示さぬ。いったいに、弟妹たちは、この兄を甘く見ている。なめている風がある。長・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・私は、兄の叱咤の言よりも、そのほうに、そっと耳をすましていた。ふっと一言、聴取出来た。私は、敢然と顔を挙げ、「提燈行列です。」と兄に報告した。 兄は一瞬、へんな顔をした。とたんに、群集のバンザイが、部屋の障子が破れるばかりに強く響い・・・ 太宰治 「一燈」
・・・趣味の古代論者、多忙の生活人に叱咤せらる。そもそも南方の強か、北方の強か。」 酒の酔いと、それから落胆のために、足もとがあぶなっかしく見えた。見世物の大将を送って部屋から出られて、たちまち、ガラガラドシンの大音響、見事に階段を踏みはずし・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・男らしく、しっかりした態度で飲め、という叱咤の意味にも聞える。会津の国の方言なのかも知れないが、どうも私には気味わるく思われた。私は、しっかり飲んだ。どうも話題が無い。槍の名人の子孫に対して私は極度に用心し、かじかんでしまったのである。・・・ 太宰治 「佳日」
出典:青空文庫