・・・ けれど、すみれは、ついにその鳥の姿を見ずして、いつしか散る日がきたのであります。そのとき、ちょうどかたわらに生えていた、ぼけの花が咲きかけていました。ぼけの花は、すみれが独り言をしてさびしく散ってゆく、はかない影を見たのであります。・・・ 小川未明 「いろいろな花」
・・・一つは雑誌であると、百貨店へ行ったように他へ気が散るからであります。 しかし、雑誌は、決して、軽んぜらるべきものではない。雑誌の価値は、古くなればなる程出て来るものです。この点に於て、書物と対蹠的の感じがします。 この理由は、個・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・市場の中は狭くて暗かったが、そこを抜けて西へ折れると、道はぱっとひらけて、明るく、二つ井戸。オットセイの黒ずんだ肉を売る店があったり、猿の頭蓋骨や、竜のおとし児の黒焼を売る黒焼屋があったり、ゲンノショウコやドクダミを売る薬屋があったり、薬屋・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・夜ならば、千日前界隈の明るさからいきなり変ったそこの暗さのせいかも知れない。ともあれ、ややこしい錯覚である。 境内の奥へ進むと、一層ややこしい。ここはまるで神仏のデパートである。信仰の流行地帯である。迷信の温床である。たとえば観世音があ・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・大阪の表情のあえかな明るさに、よしんばそれがそこはかとなき表情であるにせよ私は私なりに興奮したのである。明るさといい、興奮と言ったが、私は嘘を言っているのではない。商売柄嘘を書く才能は持っているが、しかし、いやそれだけに一層真実への愛は深い・・・ 織田作之助 「起ち上る大阪」
・・・駕籠かきが送ってきた客へのこぼれるような愛嬌は、はやいつもの登勢の明るさで奉公人たちの眼にはむしろ蓮っ葉じみて、高い笑い声も腑に落ちぬくらい、ふといやらしかった。 間もなく登勢はお良という娘を養女にした。樽崎という京の町医者の娘だったが・・・ 織田作之助 「螢」
・・・自分の部屋の西向きの窓は永い間締切りにしてあるのだが、前の下宿の裏側と三間とは隔っていない壁板に西日が射して、それが自分の部屋の東向きの窓障子の磨りガラスに明るく映って、やはり日増に和らいでくる気候を思わせるのだが、電線を鳴らし、窓障子をガ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・未来に今朝のような明るさを覚えたことが近頃の自分にあるだろうか。そして今朝の思いつきもなんのことはない、ロシアの貴族のように(午後二時頃の朝餐が生活の習慣になっていたということのいい証拠ではないか。―― 彼はまた長い坂を下りて郵便局へ行・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 蟹田なる鍛冶の夜業の火花闇に散る前を行過ぎんとして立ちどまり、日暮のころ紀州この前を通らざりしかと問えば、気つかざりしと槌持てる若者の一人答えて訝しげなる顔す。こは夜業を妨げぬと笑面作りつ、また急ぎゆけり。右は畑、左は堤の上を一列に老・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 頭のもが/\は、濃くなって、ぼんやりして来るかと思うと、また雲が散るように晴れて透き通って来たりした。彼はとりとめもないことを、想像していた。想像は、一とたび浮び上って来ると、彼をぐい/\引きつけて行った。それは、彼の意志でどうするこ・・・ 黒島伝治 「窃む女」
出典:青空文庫