・・・十五が十三より二つだけ多いことにはどうにも異議の申し立てようがないからである。 しかしまた、数字のレコードで優勝したとしても、その人が、その数字の代表する量の大小以外の点でもすぐれているという証拠には決してならない。これは明白なことであ・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・洋装の軍服を着れば如何なる名将といえども、威儀風采において日本人は到底西洋の下士官にも肩を比する事は出来ない。異った人種はよろしく、その容貌体格習慣挙動の凡てを鑑みて、一様には論じられない特種のものを造り出すだけの苦心と勇気とを要する。自分・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・白い鳩は基督教の信徒には意義があるかも知れないが、然らざるものの葬儀にこれを贈るのは何のためであろう。 元来わたくしの身には遵奉すべき宗旨がなかった。西洋人をして言わしめたら、無神論者とか、リーブル・パンサウールとか称するものであろう。・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・その時代にわたくし達は人と成ったので、今之に対して異議を言うものは一人もない。わたくし達は又既に百花園の荒廃に帰して今更これを訪うべき価値のないことをも熟知していた。さればこの場合に之を云々するのは、恰も七十の老翁を捉えて生命保険の加入契約・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・また振返って階段の下なる敷石を隔てて網目のように透彫のしてある朱塗の玉垣と整列した柱の形を望めば、ここに居並んだ諸国の大名の威儀ある服装と、秀麗なる貴族的容貌とを想像する。そして自分は比較する気もなく、不体裁なる洋服を着た貴族院議員が日比谷・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・吾人の活力発展の内容が、自然にこの輪廓を描いた時、始めて自然主義に意義が生ずるのである。 一般の世間は自然主義を嫌っている。自然主義者はこれを永久の真理の如くにいいなして吾人生活の全面に渉って強いんとしつつある。自然主義者にして今少し手・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・本質即存在、存在即本質の根柢という意義でなければならない。それには先ず本質と存在との関係が究明せられねばならない。 デカルトは「第五省察」において再び神の存在問題に触れている。そこでは認識論的である。明晰にして判明なるものが真である。神・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・無論、斯くいうのは、色々のカント学派の人々から色々の異議があるでもあろう。私は今これらの議論に入らない。とにかく、カント哲学においては、先験感覚論の始にいっている如き、我々の自己が外から動かされるという如き主客の対立、相互限定ということが根・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・是れも本文の通りにて異議なけれども、歌舞伎小唄浄瑠璃を見聴くべからず、宮寺等へ行くことも遠慮す可しとは如何ん。少しく不審なきを得ず。抑も苦楽相半するは人生の常にして、茲に苦労あれば又随て歓楽あり、苦楽平均して能く勉め能く楽しみ、以て人生を成・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 夫婦親愛恭敬の徳は、天下万世百徳の大本にして更に争うべからざるの次第は、前既にその大意を記して、読者においても必ず異議はなかるべし。そもそも我輩がここに敬の字を用いたるは偶然にあらず。男女肉体を以て相接するものなれば、仮令えいかなる夫・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫