・・・と、突伏して泣いていた梅子は急に起て玄関まで送って来て、「貴下何卒父の言葉を気になさらないで……御存知の通りな気性で御座いますから!」とおろおろ声で言った。「イイエ決して気には留めません、何卒先生を御大切に、貴嬢も御大事……」終まで・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・その夜、斎藤君はおもわせぶりであるとあなたにいわれたために心がうつろになり、さびしくなっていて、それだけですでにおろおろして居たのです。僕が帰ることになったとき、先に払った同人費を還すからというとき、僕は心の中で、五円儲かった、と叫んだので・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・私だけでも落ちついて、立派な指図をしたいと思ったのだが、やはり私は、あまりの事に顛倒し、狼狽し、おろおろしてしまって、かえってHたちに軽蔑されたくらいであった。何も出来なかった。そのうちに洋画家は、だんだん逃腰になった。私は、苦しい中でも、・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ と、かすれた声で呟くように言い、リュックを背負っておろおろ寮を出る。 まず、井の頭線で渋谷に出る。渋谷で品物を全部たたき売る。リュックまで売り捨てる。五千円以上のお金がはいった。 渋谷から地下鉄。新橋下車。銀座のほうに歩きかけ・・・ 太宰治 「犯人」
・・・ 三輛目の三等客車の窓から、思い切り首をさしのべて五、六人の見送りの人たちへおろおろ会釈している蒼黒い顔がひとつ見えた。その頃日本では他の或る国と戦争を始めていたが、それに動員された兵士であろう。私は見るべからざるものを見たような気がし・・・ 太宰治 「列車」
・・・ おかみさんはおろおろ泣きはじめました。すると主人がにわかに元気になってむっくり起き上がりました。「よし。イーハトーヴの野原で、指折り数えられる大百姓のおれが、こんなことで参るか。よし。来年こそやるぞ。ブドリ、おまえおれのうちへ来て・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ 樺の木はおろおろ声になりました。「何も仰っしゃったんではございませんがちょっとしたらご存知かと思いましたので。」「狐なんぞに神が物を教わるとは一体何たることだ。えい。」 樺の木はもうすっかり恐くなってぷりぷりぷりぷりゆれま・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・ 説教の坊さんの声が、俄におろおろして変りました。穂吉のお母さんの梟はまるで帛を裂くように泣き出し、一座の女の梟は、たちまちそれに従いて泣きました。 それから男の梟も泣きました。林の中はただむせび泣く声ばかり、風も出て来て、木はみな・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・そして何か云おうとしたようでしたが、あんまり嬉しかったと見えて、もうなんにも云えず、ただおろおろと泣いてしまいました。信者たちはまるで熱狂して、歓呼拍手しました。デビス長老は、手を大きく振って又何か云おうとしましたが、今度も声が咽喉につまっ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・中ではこんどは山猫博士の馬車別当が何か訊かれているようすで、たびたび、何か高声でどなりつけるたびに馬車別当のおろおろした声がきこえていました。わたくしはその間にすっかり考えをまとめようと思いましたが、何もかもごちゃごちゃになってどうしてもで・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
出典:青空文庫