・・・ 元は小学校の先生であった本庄さんは、知りあった頃は作家同盟の一員で、その文学の団体がやがて解体する前後には、荒い波を身にうけていた一人であった。のち『人民文庫』の編輯に力をつくされた。「白い壁」という小説は好評を博した。『人民文庫・・・ 宮本百合子 「作家の死」
・・・は既に文学上のグループとして解体していたが、昭和五年に出来た十三人倶楽部による「新興芸術派」の運動は、中村武羅夫の「花園を荒す者は誰だ」という論文を骨子として、反プロレタリア文学の鮮明な幟色の下に立った。同人としては中村武羅夫、岡田三郎、加・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
内外の複雑な関係によってプロレタリア作家が組織を解体してから、ほぼ一ヵ年が経過した。その困難な期間に発刊されたさまざまの文化・文学雑誌は、編輯同人のグループはそれぞれに別個だし、編輯方針の細部でもそれぞれのある独自性を発揮・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・ 偉い人の力を捕えて、掌の中で解体し、それをまた組立て、放してやるようなことは、決して出来ない。 ただ、感じ得る者、いつも謙譲であり真面目であり、受け入れるだけの力のある者のみが感じ得るものであるのに、心附いたのである。 かよう・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ 大戦後、欧州諸国の文学が陥った社会的混乱、自己解体の奥から根気づよく徐々にこの「チボー家の人々」がつくられて行ったということには、深く学ぶべき点があると思う。 宮本百合子 「次が待たれるおくりもの」
・・・十月十日、出獄した同志たちは、治安維持法撤廃によって解体する予防拘禁所から、すぐ生活に必要な寝具、日用品、食糧、家具などをトラックにつみこんで、ここへ引越して来た。 重吉が網走からもってかえって来た人絹の古い風呂敷包みの中には、日の丸の・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・可能性があるとき、それを実質のある現実のものとする努力を怠れば、それはもう私たち各自が、自分を責めなければならない懈怠と云われるべきなのである。〔一九四六年一月〕 宮本百合子 「みのりを豊かに」
・・・昭和二十年十一月の初旬、日本の帝国主義侵略戦争の動因の一つである財閥の解体命令が連合軍司令部から発せられた。三井、三菱、住友、安田の四大財閥が解消せられることになった。日本を破壊に導き、七千万の人口を限りない苦痛に陥入れている財閥が、解体せ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・処女懐胎は狂信者の幻想に過ぎぬ。神の子の信仰は象徴的の意味においてさえも形而上学的空想以上の何ものでもない。世界は確かに古昔の元子論者が見たごとくある基本要素の離合散集によって生じたのである。霊魂は肉体の作用であり肉体とともに滅びる。死とは・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・死とは活動の休止であり組織の解体であるがゆえに死後の生があるわけはない。この事実から眼をそむけて神と死後の生とを仮構するのは、現実をありのままに受容するに堪えない卑怯者の所作に過ぎぬ。――かくのごとき常識にとっては「神が死んだ」という宣告の・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫