・・・ 関東震災に踵を次いで起こった大正十二年九月一日から三日にわたる大火災は明暦の大火に肩を比べるものであった。あの一九二三年の地震によって発生した直接の損害は副産物として生じた火災の損害に比べればむしろ軽少なものであったと言われている。あ・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・ 十三 日本橋その他の石橋の花崗石が、大正十二年の震火災に焼けてボロボロにはじけた痕が、今日でも歴然と残っている。河の上にあって、近所の建物からかなり遠く離れていて、それでどうしてこんなにひどく焼かれたか不思・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・ 伝説によれば水戸黄門が犬を斬ったという寺の門だけは、幸にして火災を逃れたが、遠く後方に立つ本堂の背景がなくなってしまったので、美しく彎曲した彫刻の多いその屋根ばかりが、独りしょんぼりと曇った空の下に取り残されて立つ有様かえって殉死の運・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・しかしその時には船堀や葛西村の長橋もまだ目にとまらなかった。 わたくしの頽廃した健康と、日々の雑務とは、その後十余年、重ねてこの水郷に遊ぶことを妨げていたが、昭和改元の後、五年の冬さえまた早く尽きようとするころであった。或日、深川の町は・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・それは年年秋月与二春花一 〔年年 秋の月と春の花と行楽何知鬢欲レ華 行楽して何ぞ知らん鬢華らんと欲するを隔レ水唯開川口店 水を隔てて唯だ開く川口の店背レ空鎖葛西家 を背にして空しく鎖す葛西の家紅裙翠黛人終・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ 元八幡宮のことは『江戸名所図会』、『葛西志』、及び風俗画報『東京近郊名所図会』等の諸書に審である。甲戌十二月記 永井荷風 「元八まん」
・・・ 例えばいろいろな火災保険であるとか、戦時保険であるとか、また、退職手当というものも、大分使い果してしまっているのであります。別に私たちのところに、何万円もの金があって、それが自由になるなどという人は一般にはないわけです。 モラトリ・・・ 宮本百合子 「幸福について」
・・・昨年の震火災で夥しい書籍が焼けてしまった。これは、直接自分の利害に関係ないことだが私に或る淋しさを与えた。母方の祖父の文庫もこの時完全に失われた。其故、この古家の古本に再び日の目を見せる気になった私の心持の底には、謂わば私心を脱した書籍愛好・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・ 今からほぼ十年ほど前に、慶応の国文科をで、葛西善蔵、宇野浩二らに私淑し、現在では秋田県の女学校教師であるこの作家の特徴は、非常に色彩のつよい、芝居絵のような太い線で、ある意味での誇張とげてものの味をふりまきながら、身振り大きく泣き笑い・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ この家に移ったとき、火災保険の外交員が訪ねて来た。借家だときいて一時に索然とした表情になったが、思い直して動産保険をすすめた。そのとき、東京市内で保険率の少い区の名を云った。本郷や上落合はその中にこめられていた。保険には入らなかったが・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
出典:青空文庫