・・・そこには泥を塗り固めた、支那人の民家が七八軒、ひっそりと暁を迎えている、――その家々の屋根の上には、石油色に襞をなぞった、寒い茶褐色の松樹山が、目の前に迫って見えるのだった。隊はこの村を離れると、四列側面の隊形を解いた。のみならずいずれも武・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ するとどこからやって来たか、突然彼の前へ足を止めた、片目眇の老人があります。それが夕日の光を浴びて、大きな影を門へ落すと、じっと杜子春の顔を見ながら、「お前は何を考えているのだ」と、横柄に声をかけました。「私ですか。私は今夜寝・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・そのかき根について、ここらには珍しいコスモスが紅や白の花をつけたのに、片目のつぶれた黒犬がものうそうにその下に寝ころんでいた。その中で一軒門口の往来へむいた家があった。外の光になれた私の眼には家の中は暗くて何も見えなかったが、その明るい縁さ・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・この応用化学の大学教授は大きい中折れ鞄を抱え、片目だけまっ赤に血を流していた。「どうした、君の目は?」「これか? これは唯の結膜炎さ」 僕はふと十四五年以来、いつも親和力を感じる度に僕の目も彼の目のように結膜炎を起すのを思い出し・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・元よりそう云う苦しみの中にも、先生は絶えず悠然たる態度を示しながら、あの紫の襟飾とあの山高帽とに身を固めて、ドン・キホオテよりも勇ましく、不退転の訳読を続けて行った。しかし先生の眼の中には、それでもなお時として、先生の教授を受ける生徒たちの・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・しかし私にはどうしても現在のようにうそばかりで固めた生活ではやり切れません。矢部という人に対してのあなたの態度なども、お考えになったらあなたもおいやでしょう。まるでぺてんですものね。始めから先方に腹を立てさすつもりで談判をするなどというのは・・・ 有島武郎 「親子」
・・・骨組の逞ましい、この女の足袋は、だふついて汚れていた……赤ら顔の片目眇で、その眇の方をト上へ向けて渋のついた薄毛の円髷を斜向に、頤を引曲げるようにして、嫁御が俯向けの島田からはじめて、室内を白目沢山で、虻の飛ぶように、じろじろと飛廻しにみま・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・顔がと云うと、やがて人ぐらいの大きさに、何十挺だか蝋燭を固めて、つるりとやっぱり蝋を塗って、細工をしたんで。そら、燃えさしの処が上になってるから、ぽちぽち黒く、女鳴神ッて頭でさ。色は白いよ、凄いよ、お前さん、蝋だもの。 私あ反ったねえ、・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・同じ裸に、赤合羽を着たが、こればかりは風をも踏固めて通るように確とした足取であった。 が、赤旗を捲いて、袖へ抱くようにして、いささか逡巡の体して、「焼け過ぎる、これは、焼け過ぎる。」 と口の裡で呟いた、と思うともう見えぬ。顔を見・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・懐疑といい疑惑というもその議論は総てドグマの城壁を固めて而してドグマを以て徹底した思想とし安心し切っておる。二葉亭が苦悶を以て一生を終ったに比較して渠らは大いなる幸福者である。 明治の文人中、国木田独歩君の生涯は面白かった。北村透谷君の・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
出典:青空文庫