・・・ かつ椿岳の水彩や油画は歴史的興味以外に何の価値がない幼稚の作であるにしろ、洋画の造詣が施彩及び構図の上に清新の創意を与えたは随所に認められる。その著るしきは先年の展覧会に出品された広野健司氏所蔵の花卉の図の如き、これを今日の若い新らし・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・実際家とするには理想が勝ち過ぎていた。道学先生とするには世間が解り過ぎていた。ツマリ二葉亭の風格は小説家とも政治家とも君子とも豪傑とも実際家とも道学先生とも何とも定められなかった。 社交的応酬は余り上手でなかったが、慇懃謙遜な言葉に誠意・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・もし青年が青年の心のままを書いてくれたならば、私はこれを大切にして年の終りになったら立派に表装して、私の Libraryのなかのもっとも価値あるものとして遺しておきましょうと申しました。それからその雑誌はだいぶ改良されたようであります。それ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ 芸術が、他のすべての自然科学の場合と同じく、独立して価値あるものでなくして、人生のために良心たり、感激たる上に於てのみ価値あるからには、芸術家は、すべからく、野に立って、叫ぶの戦士たらなければなりません。常に、自分を鞭打って止まざる至・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・或は、貧しい家に生れて、常に不足勝ちに育った子供等の中でも、こうした種類の童話を喜ぶものがあるかもしれない。けれど、私は、そうした金殿玉楼に住んで、人生の欲望に満足し、また自分の善いことをした行為が酬いられて栄達を遂げたような童話を書こうと・・・ 小川未明 「童話を書く時の心」
・・・ 青年は、また勝ちみがあるのでうれしそうな顔つきをして、いっしょうけんめいに目を輝かしながら、相手の王さまを追っていました。 小鳥はこずえの上で、おもしろそうに唄っていました。白いばらの花からは、よい香りを送ってきました。 冬は・・・ 小川未明 「野ばら」
・・・日本が勝ち、ロシヤが負けたという意味の唄がまだ大阪を風靡していたときのことだった。その年、軽部は五円昇給した。 その年の暮、二ツ井戸の玉突屋日本橋クラブの二階広間で広沢八助連中素人浄瑠璃大会が開かれ、聴衆約百名、盛会であった。軽部村・・・ 織田作之助 「雨」
・・・一つ会社に十何年間かこつこつと勤め、しかも地位があがらず、依然として平社員のままでいる人にあり勝ちな疲労がしばしばだった。橋の上を通る男女や荷馬車を、浮かぬ顔して見ているのだ。 近くに倉庫の多いせいか、実によく荷馬車が通る。たいていは馬・・・ 織田作之助 「馬地獄」
・・・しかし、耳かきですくうような、ちっぽけな出来事でも、世に佃煮にするくらい多い所謂大事件よりも、はるかにニュース的価値のある場合もあろう。たとえば、正面切った大官の演説内容よりも、演説の最中に突如として吹き起った烈風のために、大官のシルクハッ・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・が、それだけの感動に値いするものだとはけっして考えはしないのだが、第一にあの作には非常な誇張がある、けっして事実のものの記録ではないのだが、それがこの青年囚徒氏に単純な記録として読まれて、作品としての価値以上の一種の感激を与えていたというこ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
出典:青空文庫