・・・それでもしわれわれが今より百年後にこの世に生まれてきたと仮定して、明治二十七年の人の歴史を読むとすれば、ドウでしょう、これを読んできてわれわれにどういう感じが起りましょうか。なるほどここにも学校が建った、ここにも教会が建った、ここにも青年会・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・とは彼等共通の信念であった、彼等がイエスを救主として仰いだのは此世の救主、即ち社会の改良者、家庭の清洗者、思想の高上者として仰いだのではない。殊に来らんとする神の震怒の日に於ける彼等の仲保者又救出者として仰いだのである、「千世経し磐よ我を匿・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・私は何も博士の家庭に立入って批評しようとするものではないけれども、若しこれが本当の母であったならば、又本当の母でなくとも愛というものがあったならば、如何に博士が厳重に子供を叱ろうとも、それが為めに失敗する事はなかったであろう。 私はこの・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・ 乳飲児の時代から、ようやく独り歩きをする時代、そして、学校時代と考うるさえその過程の長いことは、かの他の動物に於けるとは比較にならない。病気をさせない心配から、病気になった時の心配、また、怪我をさせないように注意することから、友達の選・・・ 小川未明 「男の子を見るたびに「戦争」について考えます」
・・・もし其処に似而非現実主義というものがあると仮定すれば、それは自己のない生活である。個性のない生活である。而してそうした生活から生れる所の芸術は、形式の芸術、模倣の芸術である。 今の文壇が平凡だというのは、必ずしも作者が平凡を以て主義とし・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・ 私は、時間といい、また空間という、仮定された思想のために多くの人々が、生活を誤謬の淵底に導きつゝあることを知った。此世に時間というものはない。此の世に空間と名づけられた形あるものもない。ただ、それが観念に過ぎぬと知った時に自分等の生活・・・ 小川未明 「夕暮の窓より」
・・・ 銭占屋も今はもう独身でない、女房めいた者もできた、したがって家庭が欲しくなったのだろうと思って、私はそう言ってやった。すると、重々しく首を掉って、「君にゃこの心持が分らねえんだ。」と腹立しそうに言ったが、その辞も私には分らなかった・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・は大阪と神戸の中間、つまり阪神間の有閑家庭を描いたものであって、それだけに純大阪の言葉ではない。大阪弁と神戸弁の合の子のような言葉が使われているから、読者はあれを純大阪の言葉と思ってはならない。そういえば、宇野氏の「枯木の夢」に出て来る大阪・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・そのような伝統がもし日本の文学にあると仮定しても、若いジェネレーションが守るべき伝統であろうか。過不足なき描写という約束を、なぜ疑わぬのだろう。いや「過不足なき」というが、果して日本の文学の人間描写にいかなる「過剰」があっただろうか。「即か・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・もしそこに住んでいる人の誰かがこの崖上へ来てそれらの壁を眺めたら、どんなにか自分らの安んじている家庭という観念を脆くはかなく思うだろうと、そんなことが思われた。 一方には闇のなかにきわだって明るく照らされた一つの窓が開いていた。そのなか・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
出典:青空文庫